帰国後の梁思成 1928-1950
ここでは帰国後の梁思成の履歴、清華大学で行おうとした建築教育に着目する。林洙《建築師梁思成》天津科学技術出版社1996年7月から 部分訳
p.95
すでに梁思成が米国から帰国した時に、まず沈陽の東北大学に行き、建築系を始めたことを指摘した。東北大学の建築系の体制と課程は、完全に彼の母校であるペンシルベニア大学建築系のカリキュラム(教程)に倣ったものといえる。(19)20年代米国ペンシルベニア大学の主な教師は皆「パリ美術学院」出身だった。建築の芸術性を強調し、学生に古典形式の美の把握を育成(培養)すること、アカデミックな(学院派的)古典主義訓練を重視した。当時、梁思成とともに東北大に勤めていた陳植,童雋は皆ペンシルベニア出身である。劉致平先生は東北大を思い出し、すでに学生に新建築設計を奨励していたが、その主流は「アカデミック」であった。これは彼の最初の教育実践であり、1928-31前後わずかに3年に過ぎず、彼はまだ自身の教育思想を形成していなかった。
(しかし東北の情勢が不安定であること、東北大内部の院長間の争い、校長張学良の作風などに憤慨。梁思成は東北大を去ることを決め、1931年9月、かねて誘いがあった、古建築の学術団体「営造学社」に移り、実物調査をする法式組主任となった。ここで彼は中国の古建築の文献的調査、そして実物調査の双方を経験することになる。pp.29-30)
(1937年8月 抗日戦争がはじまり北平の営造学社は解散。翌年昆明にて営造学社が再建。1940年には中央研究院とともに四川の南渓李庄に移っている。1945年に営造学社は終わる。1946年から亡くなるまでは清華大学建築系主任である。年譜pp.239-240による)
p.95
抗日戦争時期、梁思成は情報から隔絶された李庄にあった。しかし彼の良い友人である费正清(John King Fairbank)と费慰梅(Wilma Cannon Fairbank)がいつも彼らの建築方面の新たな出版物を届けてくれた。そこでかれは比較的早くから、都市計画というこの科目の発展に注意することになった。工業発達国が生み出す「工業汚染」「環境保護」「交通問題」など新たな問題に注意するようになった。これは我が国のほかの建築史学者とは異なるところだ。
p.96
彼は二次大戦がはじまったばかりのとき、英国とソ連がすでに戦後の復興計画研究に着手していることと、中国が抗日戦争を七八年進めたにもかかわらず、いかなる復興計画ももたず、また人材に不足していることに気が付いた。思成は各大学で建築系を増設し、建設方面の人材を育成することは焦眉の急(燃眉之急)であると考えた。
p.100
1949年は(清華大学で)彼が実現した新教学計画の第二年である。彼が「文汇报」で発表した『清華大学工学院営建系学制及学程計画草案』なる一文は、彼の建築教育思想および計画を比較全面的に詳述している。(その)彼の教育計画の中から以下の特色を見出すことができる。一つは理工と人文の結合であり、社会科学の重視に現れており、学科中に社会学、経済学、人口問題、土地利用、社会調査などが加えられている。これは彼が「体形環境(社会環境という意味か 訳者)」を学科の対象としたことの必然結果である。二つ目は歴史科目の重視である。たとえば中外建築史、中外美術史、彫塑史、これらは皆文化及び社会背景が必修科目として必要となるものである。このような歴史科目の重視は、当時の現代建築運動の反歴史傾向との比較でとても注目された。梁思成は一人の建築史学者として、建築史というのは単に各時期の建築のスタイル(風格)を紹介するだけでなく、重要であるのは建築発展のパターン(規律)、その役割、受けた制約を学生に理解させることがさらに重要で、深い歴史の理解があって、初めて建築(学科)の発展方向が理解できる、ということを自然に認識していた。それゆえ彼はオーストリー学派と新建築運動の反歴史主義観点は全くうけいれることができなず、むしろ歴史を高度に重視した。第三に重視したのは芸術訓練である。彼は建築画、素描、水彩、彫塑、建築図案(建築初歩)などの課程を設置した。これらの課の目的は、ただ単に学生の表現技巧を訓練し高めるだけでなく、重要であるのは歴史科目と呼応して、学生の鑑賞能力と芸術の修養を速やかに高めることであった。
p.101
梁思成の教学上の上述の一連の変動は、我が国建築教育中の重大革新である。中でも幾つかの課程の設置はまた示唆に富んでいる。現在における建築教育の発展方向においてすらなお参考価値がある。(しかし)この教学計画の実行は、1952年開始された全面ソ連学習のときに停止された。
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