清洲橋(きよすばし)
最近、時々使うバス路線は秋葉原から葛西に行くもの。このバスが清洲橋を通過することが分かっていたので、今日は時間を作って、清洲橋を見に行くことにした。下車したのは、「清澄1丁目」。下車は「清洲橋」でもよいが、バス停「清洲橋」は近くに高速道路の「清洲橋出口」があり、あまり環境が良くない。「清澄1丁目」からのアクセスを推奨する。徒歩5分弱で清洲橋のたもとに到着する。川辺に降りると隅田川に沿って、隅田川テラスと呼ばれる公園が整備されており、散策し橋の姿の変化を楽しめる。
清洲橋は、中央区と江東区とを、隅田川をはさんで結ぶ橋の一つ。関東大震災後の大正14年(1925年)3月着工、昭和3年(1928年)3月竣工。橋の長さは186.2m、幅員25.9m。当時の最高の技術で作られた昭和初期を代表する吊り橋suspension bridgeとされるが、「帝都復興の華」と称された優美なデザインが特徴。なお第二次大戦時までドイツ、ケルン市にあったヒンデンブルグ橋という吊り橋が清洲橋のモデルとされる。
清洲橋は、当時最先端のニューマチック・ケーソン(Pneumatic Caisson=空気の箱)工法(潜函工法)を日本で初めて用いた。軍艦に用いるはずだった低マンガン鋼を世界で初めて用いた、など初めてのものが多い。外国人技術者の協力を得た永代橋とは異なり、日本人だけで設計施工が進められた。
永代橋とともに日本初の100m超の吊り橋であり、震災復興橋梁の中核だとして、土木学会により平成12年度(2000年度)選奨土木遺産に認定された。また平成19年(2007年)6月には、勝鬨橋、永代橋とともに日本政府から重要文化財の指定を受けた。
アクセス JR秋葉原より葛西行きバスにて清澄1丁目下車すぐ。秋葉原のバス乗り場はヨドバシカメラ前の②乗り場である。秋26「葛西行き」バスに乗る。おおよそ20分間隔で運行されている。なお清澄1丁目までおおよそ20分である。
なお清澄1丁目から清洲橋に向かう最初の交差点の右側に「萬年橋(まんねんばし)」が見える。時間があれば、併せて見学されることをお勧めしたい。これも震災後の復興橋梁の一つであり、北斎が「深川萬年橋下」という浮世絵に描いた萬年橋の後継である。
もともと鉄道省にいた田中豊(1888-1964)は、内務大臣とともに帝都復興院総裁を兼務した後藤新平(1857-1929)にスカウトされ、帝都復興院橋梁課長に任命される(復興院廃止後は内務省復興局へ)。そして結果として、清洲橋など隅田川六大橋(下流から相生、永代、清洲、蔵前、駒形、言問の六橋を指す)設計施工を主導したとのエピソードを紹介する土木学会作成ビデオ。