柴静《看見》2013年1月
柴靜(チャイ・チン 1976-)の『看見(カンチエン =分かった、理解した、といった意味である。彼女がキャスターを務めていた報道TV番組のタイトルでもある)』廣西師範大學出版社は好きな本で繰り返し読んでいる。このニュースキャスターがなぜ生まれたのか。ということが語られ、それに引き付けられることもこともあるし、彼女が紡ぎ出して見せる物語、そこで語られるメデイアや事実の掘り下げ方の議論につい関心を寄せることもある。
彼女がこの本で取り上げているテーマから三つを強いてあげるなら翻訳の『中国メディアの現場は何を伝えようとしているか』(平凡社2014年)にも含まれている、2003年のSARS(非典型型肺炎)をめぐる取材の顛末、2006年に行った彼女の故郷山西での公害の取材、そして彼女が2003年から2009年にかけて繰り返し取材したという「政府部門による地上げ」(征地)の問題がある。
翻訳(杉村安幾子)は征地を単に地上げとするが、政府部門による土地の召し上げが問題なので、長くなるが「政府部門による地上げ」と訳すべきだった。ところで柴靜は、この問題を取材するなかで北京大学の経済学者、周其仁(チョウ・チーレン 1950-)に行き着く。彼女の企画書をざっとみた周は、まず道徳的に問題をみてはいけない、地方政府を悪者にして(妖魔化ヤオモーホア)はならない、と注意している。その後、彼女は国家図書館に行き(ここがちょっとオーバーに感じるところ。)82年憲法第十条で「都市の土地は国家の所有に属する」と定められたことに問題があると感じ、周に尋ねる。周は直接答えずに、共産党中央委員会の陳錫文(チェン・シーウェン)の取材を勧める。彼はすべてを知っているよ(他都知道)と。
陳錫文は土地の区画割を一般庶民が常識に従って行うことを提起している。ただその判断が、積極的に土地を売るという判断であった場合、農民は一時的に利益を得るかもしれないが、農民を破滅させることになるかもしれないともしている。彼女(柴靜)の取材メモからは土地の売り上げのうち、農民に還元されるものは1割ほどにすぎず、大半の利益は地元政府と、デベロッパー(開発者)との間で山分けされる構図がみえる。
つまりこういうことなのだ。民主主義が中国では、理想的にワークしていない。民衆にまかせればいいと分かっている。しかし現実に農民自身の選択として、地方政府の選択として、問題が起きている。人々の間に対立も生じている。
山西の公害もそうだ。人々の選択の結果、選ばれた村委員会主任、カネまみれの収賄にあふれた選挙であれ(民主的制度は形式的にはあり)、その主任のもとで炭鉱が運営され、深刻な汚染汚水が広がり、地下の空洞化がすすんでいる。人々は自分の利害にしか関心をもたない。お金のある人は、環境のよいところに逃げ出すだけ。あとには逃げることのできない人たちが残る。時折、落盤や陥没事故にまで至り、その都度、幹部が責任を取らされるが、問題の解決には至っていない。
民主や法治を唱えて終わりというほど、事は簡単ではない。と彼女は言っている。これは彼女の問いかけなのだと思う。事がそれほど単純でないことは自分もわかっています。私たちは材料を提供しますので、どうすべきかは一人一人が考えてくださいと。(中国では経済面では自由化、市場経済化が進んだ。そこで生じてきたさまざまな問題の調整、そこで矛盾に逢着している。)柴靜は次のように言う。
メディアにとって重要なのは考えるうえで必要な判断材料を明確に提示することであり、誰かを民衆の敵にしたてることではない。(媒體重要的是呈現出判斷事物應有的思維方法,而不是讓一個人成爲公敵。)看見,p.242
胡適は事をなすには賢い人が馬鹿なように努める必要があるといった。最初はそれは気持ちの問題だと思ったけど、経験を通じてそうだそれが唯一の方法かもしれないと考えるようになった(胡適説過做事情“聰明人下笨功夫”,我原以爲下笨功夫一種精神,但體會才知,笨功夫是一種方法,也許是唯一的方法。)看見,pp.247-248。胡適のもとを確認していないが、私(福光)はこの胡適の言葉を、ばかなように繰り返し事実を掘り起こすこと、ただ繰り返し原則に忠実であること、そういった意味であるように解釈した。
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