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善福寺の大イチョウ

 元麻布にある善福寺の大イチョウである。善福寺は米国の初代公使タウンゼント・ハリス(1804-1878)が安政6年1859年に公使館を置いた場所として知られる。境内には、その記念碑が置かれている。今一つ知られるのは福澤諭吉(1835-1901)の墓所である点だが、福澤の墓は元は上大崎の常光寺にあったものを昭和52年1977年にこちらに移したとされる(墓を移すに際し掘り起こしたところ、福澤がほぼそのままの姿であらわれたという。鵜飼秀徳「福澤諭吉は地下4mの地底で着物を着て寝ていた」Presidentonline 2022/11/29) 。
 肝心の大イチョウは、樹齢750年以上とされ、幹回り10.4m、高さ20m。都内で最大の大きさであり、大正15年1926年に国指定の天然記念物。親鸞上人(1173-1263)が地に刺した杖から成長したとの伝承から「杖イチョウ」の別称がある。樹勢がなお盛んであることは喜ばしい。
 善福寺は入口に勅使門を構えることからも格式の高さがうかがえる。本堂は当初、東本願寺八尾別院大信寺本堂として建設されたもの(明和4年1767年)。この建物は、東本願寺の天明8年1788年の火災後は一時、東本願寺に移築され、御影堂として使われた(天明8年1788年―寛政10年1798年)。それを昭和36年1961年当地に移築したもの。
 なお、善福寺の背後にそびえるのは平成14年2002年6月竣工の「元麻布ヒルズ」である。
 アクセス 地下鉄麻布十番より徒歩7分ほど。
   麻布山善福寺境内之図   善福寺は空海により天長元年824年に開かれた古寺との伝承があるが、了海上人(1239-1319)のときに、親鸞(1173-1263)の教えを受け入れて、浄土真宗に改宗して現在に至るとしている。
   善福寺の大銀杏    図説港区の歴史 p.101
   大銀杏の背景  図説港区の歴史 p.102
   了海の周辺   図説港区の歴史 p.103
   注 上に引用した「図説港区の歴史」によれば、親鸞(1173-1263)が北関東を中心に布教した時期は建保2年1214-嘉禎元年1235の間。その後、親鸞は京都にもどったとする。善福寺を訪れたのは貞永元年1232年6月とも。ただこれだと、了海上人(1239-1319)が善福寺で親鸞の教えに感服してという話が成り立たない。了海が親鸞の教えを受け入れ、善福寺を改宗したということがおそらく間違いがない史実なのだろう。
   荒木門徒の展開
 善福寺の逆さイチョウ 1998/12撮影 「巨樹名木探訪」より 
 善福寺のイチョウ 2009/12撮影 「巨樹と花のページ」より
   関東の巨木リスト   「巨樹と花のページ」より
 善福寺の逆さ銀杏 2019/11撮影 「出会った巨樹」より
 

勅使門
This Spot Townsend Harris opened the First American Legation in Japan July 7, 1859
本堂
天然記念物 善福寺の公孫樹
善福寺の公孫樹(部分)


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