田中健夫『倭寇 海の歴史』1982
田中健夫(1923-2009)さんの著書。1982年に教育社から刊行。手元にあるのは2012年講談社学術文庫版。中国や朝鮮の歴史を見ていると、昔から日本が両国に迷惑をかけてきたその例として、倭寇の話が出てくる。海賊で沿岸を荒らしたのであろうから、申し訳ない気持ちになるのだが、田中さんの説明によれば、交易の担い手としての面も否定できないようだ(写真は湯島聖堂)。
そして13-14世紀の倭寇と16世紀の倭寇では、明らかな違いがあり、13-14世紀の倭寇はまずは朝鮮に対するもの。壱岐、対馬など拠点となっていたとする。朝鮮政府の懐柔策に加え、大名や足利幕府が、自ら貿易を行おうと倭寇を抑えることで、倭寇の活動は一旦終息に向かう(明への遣明船の派遣は結果として大内氏の独占するところとなるが、大内氏の没落もあり、1547年をもって終わる)。これに対して、16世紀の倭寇は、中国人を実は首領としたり、多くは中国人のものもあり、行き先も主として中国の浙江福建などの沿岸に対するもので、明の海禁政策が影響していた。この解禁政策のもとで、沿岸住民の海上活動の活発化が、16世紀の倭寇の背景だとしている。そして繰り返された倭寇討伐、1567年の海禁令の解除、日本での秀吉による海賊禁止令(1588年)。こうした中で16世紀の倭寇も終焉を迎えたとする。
交易の問題があるということから、何がその対象であったかが、問題になる。糸、織物、銅銭、鍋、古書などが輸入され、日本からは刀剣などの武具, 扇子などの工芸品、鉱産物などが輸出された。
各国にまたがる膨大な資料を使った分析であることは明らかで敬服すべき記述だが、倭寇という存在が、交易問題と絡んでいること。16世紀、中国沿岸を荒らした倭寇というのは日本の五島列島あたりを拠点としていたとしても、中国の沿岸住民が倭寇を偽装したものが主体だったのではないか。といったメッセージを読み取った。これに対して講談社文庫(2012年)の解説(村井章介)は、民族的出自にこだわることを批判して、倭寇の本質は国籍や民族の別を超えた境界的な人間集団にあるとされている。そのほか、資料への疑問と誤釈と村井さんが判断された点を六点指摘されている。確かに読んでいて、田中さんの断定的な記述が気になることも確かで、まさに村井さんの批判につながっているように思える。
なお見出し写真は湯島聖堂。以下の写真も湯島聖堂の屋根飾りの神獣。
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