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于光遠「新民主主義社会論」的歴史命運 1988~1998/2005

 手元にあるのは2005年に長江文芸出版社から出された韓鋼の注記がはいったもの。韓鋼の序文によれば、この元は1988年から1998年の間に于光遠が書いていたメモである。ここではその結論部から訳出するが、于光遠という人の柔軟な思考の成果がうかがえる。
 前半p.235~の引用は、現状をそのまま「中国の特色ある社会主義」だとしている。そこには無理をして背伸びをしたところがない。後半p.238~は、理想的には新民主主義社会を続けて資本主義的発展を続け、次第に社会主義的発展が中心になるようにするべきであったとする。この放棄の結果、生み出されたのは畸形的な社会主義だったが、だからといって我々は新民主主義社会に戻ることは不可能だ。その後、長い指導性理論空白期を経て、我々は「社会主義初級段階論」を現段階の社会主義発展理論とすることになった。今我々にできることは、新民主主義社会論を放棄した歴史経験に学んで、社会主義初級段階論について詳細な検討をすることだと結んでいる。すこしきれいにまとめすぎている感はあるが、新民主主義社会の評価を含む、こうした議論は日本で知られてよいのではないか(福光)。

p.235 私は「社会主義初級段階(階段)論」と「新民主主義社会論」には重なるところ(共同的地方)がある、と考えている。それは中国社会発展理論に関するものであり、しかし普遍的意義をもっていることである。革命勝利前は資本主義社会ではなく、経済文化がとても遅れていたのであるから、社会主義社会の発展過程で一つの初級段階をともに(總會)経験する。異なる国家のこの種の社会主義初級段階は異なる特徴を持つが、若干の共通点もある。新民主主義社会が、ロシアの10月革命後の各植民地半植民地半封建国家に普遍的に適用できる意義を持つのと同様である。これはマルクス主義の普遍原理の一部分とみなせる「社会主義初級段階論」に包括される社会主義再認識の一般研究であり、というのも社会主義一般の問題に関することであり、今日なお解決していないが無用の研究である。我々はマルクス主義の普遍原理の一部分である社会主義初級段階を研究するとき、社会主義の一般研究からはなれることはできない。もう一つの部分は主要部分というべきである、中国社会主義初級段階の理論研究であり、それは中国特有(特色)である。
 中国社会主義初級段階の特徴(特点)の一つは、中国の自然条件や社会文化条件が他の国家と大きく異なることである。中国は経済文化で遅れた国家であるだけでなく10億以上の人口を擁する大国であり、同時にまた各地区の自然条件経済文化の発展程度の差異はとても大きい。全国で見ればとても不均衡(不平衡)な国家である。歴史的にみて、中国人民革命が勝利する前には次のような情況だった。中国大陸の大部分(絶大部分)は反封建社会で、一部の少数民族地区の社会制度は反封建農奴制的、奴隷制的甚だしくは原始コミューン制の発展段階であった。そして香港マカオは帝国主義の植民地であり、台湾はまた長く日本の統治下にあり、これらの一部は資本主義の発展程度が比較的高かった。建国後40年近い建設と社会主義改造を経て、中国大陸の各地区はみな社会主義制度を建設(建立)した。それゆえ全中国が「一国二制度(一國兩制)」を形成した局面にある。中国大陸は社会主義初級段階社会になったところである。これが地区の角度からみた中国社会主義初級段階の特徴である。

p.238    このように言える。理想的な発展は建国後、新民主主義社会論の要求に従うことだった。新民主主義社会制度を建設(建立)し、新民主主義社会制度を強固(鞏固)にし、新民主主義社会制度の下で発展する生産力の基本要求にそって社会主義的経済を発展させ、同時にまた資本主義的経済を発展させる。発展では社会主義経済の発展をさらにはやくなるように努める(争取)。二つの発展の中で差は次第に拡大され、資本主義経済は次第に社会主義経済の補充助手に変化させられる。そのとき中国社会は社会主義社会になる。…またこの社会は社会主義初級段階に属している。このとき、「社会主義初級段階論」は先行する「新民主主義社会論」に代わって、今後の社会発展の指導原理になる(はずだった)。しかし事実は「新民主主義社会論」は建国3年以後放棄された。すなわち1952年に放棄が始まった。そして「社会主義初級段階論」が作用を始めるのは十一届三中全会の後、実際にはさらにひと時を経て社会主義初級段階の概念はまだ人々が明確に把握するところではない。この二つの議論の作用時間においては、30年以上の年月にわたる「指導性理論空白」時期がある。
 当然この断裂は歴史発展の中断ではない。この二つの議論が作用を始める時間の間に、前段階ではレーニンの過渡期学説が「新民主主義社会論」置き換わり、その後発展した「無産階級独裁下継続革命論」が「社会主義初級段階論」に置き換わっている。この時間の経過において歴史的にはかつての「新民主主義社会論」そして以後の「社会主義初級段階論」は研究資料を提供しており、我々に今日このような知識を提供している。
 歴史とは過去に起こったことあるいは現存の事実である。すでに歴史になったことは、ただ承認するしかない。1956年に中国に誕生したのは、かつその後20数年の中で形成されたあの社会主義社会は、もちろん早生まれで畸形だった。我々はただ出来上がった既成の事実を受け入れることしかできず、すでに生まれた嬰児を母胎に戻すことはできない。私はかつてこのような意見、つまり、厳格な意味での補修(補課)すなわち、中国にもう一度新民主主義社会段階を経よと求めるのは不可能だという意見を発表したことがある。ただ建国以来の歴史経験を総括するのであれば、もしも我々が建国後数十年新民主主義社会制度を維持したなら、我々中国社会主義の発展にとても有利だったということはできる。しかしこのような判断は今日ようやくできるのである。20数年の曲折があったことで、我々は今日「社会主義初級段階論」を明確に中国の現段階の社会主義発展の指導理論とできるのである。

p.240  我々のこの文章は新民主主義社会論から社会主主義初級段階論に至る歴史の研究である。私がこの研究をしたのは、目的は「前を見る」ためであり、「社会主義初級段階論」の発展と堅持に着眼したものである。私はこの歴史研究は「社会主義初級段階論」の堅持発展にとり啓発的(啓發)だと考えている。先ほど「新民主主義社会論」が放棄されたことを話したが、その一つの重要な原因は、問題の研究が比較徹底(透徹)していなかったことにあった。たとえば、新民主主義社会とレーニンの言う資本主義社会から社会主義社会への過渡社会との区別が事前に研究されることはなかった。そこで客観的歴史が新民主主義革命が全国範囲で勝利したとき、思想上、あいまいさが生じたのである。まずこのような二つの異なる社会の混在が生じ(混爲一談)、のちに新民主主義社会といった言い方は完全に放棄されることになった。「新民主主義社会論」が放棄された歴史教訓を受けて、われわれはどこかに「社会主義初級段階論」に関係する問題があれば、それを少しでも早く提出するべきで、可能な限り深く議論するべきである。このようにすることで「社会主義初級段階論」に動揺が発生するときに対し、事前に一種の精神的準備をすることができる。

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福光 寛  中国経済思想摘記
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