New Capitalism REFERENCE: 1998-2022
岸田文雄氏(1957- 2021年10月より内閣総理大臣)は一時「新しい資本主義」を掲げ、それは一体何かと議論が高まろうとしたときに、この旗を実質的に降ろしたかに見える。実はこの岸田さんの迷いはよくわかる。
財務管理論の講義をしていたときに、株主資本主義からステークホルダー資本主義に世の中の流れがあることを説くところまでは、最初にするのだが、このステークホルダー資本主義を株主資本主義の先にあるものと、株主資本主義の改良版(修正版)として説明していいのか戸惑いがあった。両者にはかなり大きな断絶があるようにも思えたからだ。この断絶が分かっているなら、講義の最初から説明で変えるべき点があるのではないか。そう考えると、付け焼刃的にこの議論を紹介することがもはやむなしかった。
失礼ながら岸田さんが陥った問題は、同じ困難ではないかという気がする。新しい資本主義で岸田さんが描こうとしたものが何かは分からない。ただ株主資本主義からステークホルダー資本主義に世の中の流れがあることを岸田さんも意識し、それを言おうとしたのではないかと感じる。アメリカの経営者団体であるラウンドテーブルが、ステークホルダー資本主義への転換を説いたのは2019年8月のこと(会社の目的の再定義に関する宣言)。その後。2020年1月のダボス会議では、ステークホルダー資本主義を提唱するダボスマニフェストが作成された。岸田さんが言おうとした内容は、このような主潮であったと一般にも考えられている。
なお株主資本主義とは、株主が企業のリスクを負担していることを根拠に、企業―資本主義は、株主本位に運営されるべきとの考え方を指す。これに対して、ステークホルダー資本主義stakeholder capitalismでは、株主のほか、従業員、消費者、地域社会などさまざまなステークホルダー(利害関係者)との関係において企業は存在するとの認識をもとに、さまざまなステークホルダーに配慮して、企業―資本主義は運営されるべきとの考え方を指す。
ところが実際に岸田さんが、総理になってからの文書を見ると、新しい資本主義の内容は、成長と分配の好循環を生み出すと言った内容(首相官邸「成長と分配の好循環」)になっており、ステークホルダー資本主義が掲げていた、資本主義の在り方(中身)をめぐる議論は消えてしまっていて拍子抜けといえる。同時に、岸田さんに哲学がない、と言った批判が重なるようになったと私には思える。
なぜこうなってしまったのか。私は岸田さん周辺の作業グループが検討作業を進めたものの、ステークホルダー資本主義を国の方針として掲げるのは、むつかしいという判断に至ったからではないかと考えている。
株主資本主義の場合は、株主こそリスク資本の担い手であるとして、その株主にとって企業価値を最大化することが、企業経営の目的になると論じることで、ガバナンスの目標は明解。株主を第一とする資本主義は、単純明快でわかりやすい。
ではステークホルダー資本主義はどうか。ステークホルダー資本主義は、株主資本主義と比較すると、価値観の大きな転換を伴っている。いろいろな説明をすべて作り直す必要がある。経済学や経営学の基礎にあたるところ、そこもすべて見直す必要がある。それが私の直観だ。おそらくいろいろな作業の末に、岸田さん周辺の作業グループは、ステークホルダー資本主義を打ち上げることを躊躇するに至ったのではと感じる。大きな問題を出しながら、あっさり諦めるところが、岸田さんらしいのかもしれない。その意味で深い信念がないという批判は当たっている。
ステークホルダー資本主義に沿った企業ガバナンスの手法は、現在の株主資本主義でのガバナンスの議論の延長上に、つまり既存の体系を活かすときには、大きく二つある。一つは企業の経営目標の多元的並列化。企業利益だけでなく、社会的目標、環境的目標などを並列して同時に掲げて、達成を目指すというのが、一つの在り方。もう一つは、様々な問題を、リスクとして経営上の課題として取り込む手法。例えば、環境問題、あるいは法的なコンプライアンスの問題を、経営上のリスクとして評価し、管理するという手法。いずれもすで行われていることでもある。こうした既存の説明は、株主資本主義の改良としてステークホルダー資本主義を見ていることにもなる。
ただ問題を考えてゆくとステークホルダー資本主義の社会では、実はもっと根本的に、経済社会ステムについての説明の仕方を、最初の段階から分配と環境の二点を中心に、作り変える必要があるのではという直観も働く。つまりはっきり言葉で書いてしまうと、ステークホルダー資本主義はさらにその先の社会、社会的価値(たとえば、地球の生態系や社会的弱者の権利)を重視する社会を目指しているのではないか、ということである。そこまでの問題を提起できるかどうか。岸田さんが、ステークホルダー資本主義に踏み込まなかったのは、問題のこうした奥深さに気付いた、つまり自身はそこまでの改革者ではないことに気が付いたからではないかと思う。
新しい資本主義をめぐる識者の議論 2021/10/26
なお「新しい資本主義のグランドデザイン及び実行計画 2023改定版」(2023年6月16日 内閣官房)は次のような観点示している(2023年8月25日追記)。
第一は資本主義はかつての自由放任主義を改めて、「福祉国家」を目指すものに変わったとして、そのことを肯定している。第二に、「新しい資本主義」が必要になった背景に、1980年代以降の新自由主義のもとで、以下のような問題がでてきたことへの反省があるとしている。それは、
経済格差の拡大、気候変動の深刻化、過度な海外依存の3つである。これらの課題を解決するために、従来の「市場か国家か」ではなく、「市場も国家も」使って解決に取り組むとしている。
まず新自由主義とは異なる立場を取ろうとしていることが分かる。またこの国家あるいは官の役割を市場と並べる点は、ユニークである。欧米であれば、市場を優位に置いて話しをまとめるであろう。
なお新自由主義neo-liberalismとは、国家の経済への介入を小さくして、市場の効率性を高めることを目指す政治経済思潮であり、医療や福祉についても国家介入の縮小を当然のように主張している。高齢化が進む日本では、そもそもこの思潮は受け入れにくいのではないか。
経済格差の拡大、気候変動の深刻化、過度な海外依存は、いずれも市場に解決をゆだねた結果、問題の緩和・解決が急がれることになっているとすることに大きな異論はない。
ただ以上をもって「新しい資本主義」といえるのかどうか。あえて欧米の資本主義論との違いを言えば、国家政府、官庁官僚の役割を市場に並べているのが特徴と言える。言い換えれば「国家資本主義state capitalism」というべきものを、議会制民主主義が機能していることを前提に大胆に肯定しているようにも読める。国家資本主義が岸田の「新しい資本主義」なのか?議論はなお必要かもしれない。
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9割の企業がステークホルダー資本主義の広がりに肯定的(日本能率協会のアンケート結果による)経営プロ2021/11/19
安達英一郎 ステークホルダー資本主義 2022/03/16講演会資料 ステークホルダー資本主義に1.0そして2.0の段階があることを指摘している→持続可能性金融(sustainable finance)についての段階分け Aug.2017
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木内登英 「新しい資本主義」の源流はステークホルダー資本主義 NRIコラム 2022/02/01
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ドラチェク対斎藤幸平「成長は一体、何の為」『東洋経済』2022/08/19
成田悠輔×成毛真 資本主義と民主主義の未来 News Picks 2022/09/17
パーパス経営とは JMAM 2022/10/06更新
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TED-Ed, Is capitalism actually broken?, Youtube 2022/11/02
斎藤幸平×成田悠輔 22世紀の資本主義 文春電子版 2022/12/03
武田淳 「新しい資本主義」の何が新しいか 伊藤忠総研コラム 2023/06/23