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竣工昭和3年1928年。設計マックス・ヒンゲル。鉄骨鉄筋コンクリート造。東京大空襲を生き残る。平成14年2001年有形文化財として登録。ここはときどきはっと美しいと思うことがある。アクセス:水道橋から徒歩6分。
このお寺は吉祥寺の名前の由来として有名。有名人のお墓もある。しかし現在では訪ねる人は少ない。大仏と経蔵は一見の価値があるように思うが、現状は風雨にさらされるに任しているように見えるのは残念だ。 南北線の本駒込の2番出口から下りてすぐにある諏訪山吉祥寺はもとは太田道灌が江戸城築城の折に、城中に開基されたお寺(1458年)。その後、現在の水道橋付近にうつり、現地に移ったの1657年明暦の大火のためとされる。漢学の学問所として栴檀林が置かれ、多数の学僧が集った。吉祥寺大仏は17
天正元年1573年に地元の名主によって、現在の東京大学のところに浅間神社が勧請された。その後、そこに寛永六年1629年に加賀前田藩の上屋敷が置かれることになり、こちらの塚の上に遷座されたという。この塚は前方後円墳だという説があるが、確かに登ってみると、それらしい形状になっている。 なお都区内で前方後円墳として確定しているものとして以下が知られる。 摺鉢山古墳(台東区上野公園) 芝丸山古墳(港区芝公園) 宝来山古墳(大田区多摩川台公園) 亀甲山古墳(大田区多
「たくぞうすいなり」と読む。場所は傳通院から小石川、春日方面に坂を下りてすぐ。傳通院に現れた澤蔵司稲荷が祭られている。階段を上がり右手に行くと、「おあな」に下りる入り口がある。そこはちょっとした異世界で、初めて来た人はちょっと感激する。 祀られ始めたのは元和六年1620年とされる。しかし明らかに建物は建て替わっている。ここに一体、古いものが、残っているだろうかと、一瞬躊躇するが、しかし実はいくつかある。 まず澤蔵司稲荷に上がる階段の両脇にあるレリーフである。これはこれまで
東洋文庫は中国を勉強する人間にとっては有難い資料庫だ。10年程前に少し古い時期の中国の勉強を始めたとき、勤務先の図書館の蔵書をあまり信頼できなかったので、この文庫の検索システムをよく利用したし、こちらの閲覧室にもしばしばお邪魔した。この閲覧には、身分証を持参して、閲覧証を作成する必要がある。 なお私のような遅まきの中国研究者にとって、もう一つ助けになったのは海浜幕張にある、アジア経済研究所図書館である。この図書館は蔵書の規模が大きく、あらゆる人に開放されているので助かった