戦争を知らない子供たちは、COVID-19を知ってる大人たちになった
※この記事は、あくまでも僕の「個人的な考え」を記述しているもので、そこに賛同も批判もあっていいですが、ご自身の行動に関しては、必ず厚生労働省や政府発信の情報を確認されるようお願いします。いのちだいじに。じぶんやじぶんのちかくだけでなく、みんなにとっての、いのちだいじに。(COVID-19関連の記事にnoteから注意通知みたいなのが出てたので、一応)
最初にお詫びと言い訳
twitterでつらつらと思考を取捨選択しながら小出しで垂れ流していて、だったらこういうテキストで書いた方がいいだろうと思って、久しぶりにnoteを開きました。
「世界遺産のことをやる」って勇みながらnote始めたのに記事の更新が滞りまくってて、しかも今見たら語呂合わせ記事を購入してくれた人がいて、
「あ、続きの記事あげなきゃ」って思いました。期待してくれていた方がもしいらしたら、すみませんでした。世界遺産のこともやります。
個人的な事情でここ半年近くやられていて、精神的にも生活的にも随分ととっ散らかった状態が続いていて、ここにきてようやくちょっとクリエイティブなことができる心のゆとりができた次第です。体だけはずっと健康でした。
COVID-19、よく新型コロナウイルスとよばれるやつ
2020年4月の下旬、僕自身の体はずっと健康を維持している間に、世間は、いや世界的にか、
大変なことになってしまっていますね。
「大変なこと」みたいな言い方では軽すぎるような気もしますが。
タイトルで対比的に並べているとおり、このCOVID-19という惨禍、災禍は、もはや戦争と並ぶ人類にとっての大きな災いとみなしていいと思います。
COVID-19という呼び方
CO=CORONA
VI=VIRUS
D=DISEASE
19=発生確認が2019年11月
英語の呼び方をカタカナ化すると「コーヴィッド ナインティーン」らしいですが、「コヴィッド」とか「コビッド」っていう人も少なからずいるみたいです。というか調べるまで僕は頭の中で「コヴィッド」って言ってました。
この呼称が一般化したら、日本のネットスラングで「小人」とかにされそうですね、どうでもいいけど。
テレビのニュースとか、多くの公的なインフォメーションでは「新型コロナウイルスによる感染症(の流行)」って言われ方するのを見聞きするのがほとんどですね。まぁわかりやすさで言えばそれになるんでしょうが、情報のまとまり、語句の短さで言えば「COVID-19」の方がベターな気がします。
「2019年に発生した新型コロナウイルスによる感染症、その大流行」
を表す言葉が「COVID-19」なわけですから。
「新型コロナウイルスによる感染症」だと、いつか今回の事態が収束した後、また別の新型コロナウイルスによる災禍が発生したときにどうするんだって懸念が残る。
ついでに言えば、2003年に流行した「SARS」=サーズ、あれだって言うなれば新型(2003年当時は新型)コロナウイルスによる呼吸器疾患ですし。
とは言え、ニュースでお年寄りが見聞きして「この、コービーいうんは、なんかの選手のことかいのう?」とか言い出す可能性を考えたら、確かにわかりやすさ優先で「新型コロナウイルス」って言い方をメインに使うのはわかる。最初に発生した地域の地名とか付けないだけだいぶマシだろう。
※逆に今回のウイルスを、その、地名付きの呼称で呼ぶと、場合によっては差別主義者認定されてしまうので、絶対にやめましょう。そこには少なからず、その地域に対する糾弾の感情、石を投げるようなニュアンスが含まれてしまいます。使った当人にそんなつもりがなくても。
話がまとまりませんが、上に書いたような考えなので、僕はこの文章では「COVID-19」という呼称でいきます。悪しからず。
(全然どうでもいいけど、「COVID-19」って、なんかものすごくバンド名っぽいよな、ってずっと思ってて、さっき同士がいないかとTwitterで「COVID 19 バンド」って調べたら、
同士どころか、既にそのバンド名で活動してるバンドがいた。「COVID-19」っていうバンド、YouTubeに上がってて、ゴリゴリのメタルだった)
((さらにどうでもいいけど、「三密 壇蜜」でも検索しました))
僕たちは戦争は知らない、でもCOVID-19は知ってる
ここでいう「知ってる」というのは、「直接的に自分たちに被害が及ぶものとして、恐怖し、行動した経験がある」というくらいの意味で思ってもらっていいです。
昔、1970年代のフォークソングブームの初期に発売された、ジローズというデュオの『戦争を知らない子供たち』という曲があった。
ー戦争が終わって 僕等は生まれた 戦争を知らずに 僕等は育った
(中略)僕らの名前を 覚えてほしい 戦争を知らない 子供たちさー
という、当時が第二次大戦後30年前後の時代、それでもベトナム戦争は進行していた時代に歌われて、1985年生まれの僕でも知ってるフォークの名曲。
当時の若者の感覚としても、東西冷戦だったり、ベトナム戦争だったりが勃発、進行、終戦しても、自分たちは「戦争は知らない」という意識だったのだろう。
僕も、生まれてこの方「戦争」を自分に関わる災禍として感じたことはない。湾岸戦争もアフガン侵攻もイラク戦争も、シリア紛争も、「自分が巻き込まれている災禍」だと感じて恐怖したり、それが為になにか自身の行動を大きく変えたりはしていない。
なので、大半の日本人は、第二次大戦以降、みんな「戦争を知らない子供たち」なんだと思う。
そこに来て今回のCOVID-19だ。
日本に住む人のほとんどが、程度の大小はあれど、COVID-19を「自分や自分の大事な人を害する可能性のある危険なもの」として恐怖し、それが為に行動したり、行動を制限されたりしている。
世界的に比較して、絶対数でも人口比でも、多いほうではないにせよ、国内で死者も出ている。
医療機関の方々は、それこそ戦時中の軍人よろしく、最前線で危険の中で闘っている。
COVID-19は、これまで生きてきた中で経験してきた、リアルタイムで見聞きしてきたどの感染症よりも、被害も影響も桁違いに大きい。
これは戦争ではない。けれど、間違いなく人類にとっての大きな災厄、災禍だ。
戦前、戦中に生まれ、2019年末までにこの世を去っていった人たちは、戦争は経験して知っていただろうが、こんな形の災厄が人類に降りかかることはおそらく想像もせず、言うなれば「知らない」まま人生を終えていった。
どっちを知っているから偉い、というような話ではもちろんない。
ただ、僕たちが歴史の授業や色んなメディア媒体で色んな切り口で伝えられてきた「戦争」というもの、
それと並べて語っていいくらいの事態が今回のCOVID-19だっていう話。
望もうと望むまいと、世界的に「COVID-19以前、以後」という話が共有される。そんなものって、今まで戦争以外にあっただろうか。
たぶんない。だから、やはりこれはえらいことなのだ。仕事ないからって旅行いったり、開いてるパチンコ屋求めて遠征してる場合じゃないって。釘も開いてないし設定ベタピンだよたぶん。(そういう問題ではないが)
戦争とCOVID-19を比較してみる
今回文章に起こしているようなことを、事態が深刻化していく中で漠然と考える中で、これまで見聞きしてきた戦争に関する事象と現在の世の中で起こっている事象と比較したりしていた。列記していきたいと思う。
最前線、激戦地、闘い方について
例えば、さっきも書いたような、医療機関が最前線、というような話。あれは正確ではない。
戦争の最前線は各国の軍隊が衝突する場所、いわゆる戦地なことと比して、今回、最前線と呼べるのはどこだろうと考える。
病院、医療機関であったり。もしくはマスクや衛生関連商品を取扱う業種の小売店だったり、激しく心身を消耗しながら事態に対面している人たちが多くいるのはそういう場所だと言える。最前線というよりも、「激戦地」という言い方が正しいのかもしれない。
だからといって病院、医療機関やドラッグストアなんかの小売店に身を置かない自分たちが最前線にいないわけではない。
自分が死ぬ可能性、大事な人を失う可能性があるのは、誰でも等しく同じ。
むしろ、激戦地に身を置かない僕たちの行動は、激戦地で闘う人たちに大きな影響を与える。
呼びかけられている行動指針に従わず、いきなり病院に直接行って「コロナかも知れないから検査してくれ」って言って、検査してもらえなくて怒るっていうのは、「激戦地」の人たちにダメージを与える、ともすれば致命傷を与えてしまう行為である。まじで死んじゃうから、ほんと。
「すぐに重症化する危険のある人たち」に括られている人たち(高齢者、妊婦、心臓・呼吸器疾患、糖尿病、透析を受けている人など)でも、相談するのを早めにすることが推奨されているわけで、症状がみられるからと言っていきなりの直接来院は推奨されていない。
検索してわかりやすかったページを貼っときます。
とは言っても、この辺が難しいところなのはわかる。
「死ぬかもしれない、死なせてしまうかもしれない」という恐怖から、対応を急かしてしまいたくなる気持ちもわかる。
それでも、あくまでも「まずは相談」が原則。このCOVID-19という災禍に対して、激戦地ではないにせよ最前線に立っている人間としての行動規範だと思う。戦争中の軍隊でいうところの軍紀であって、戦争中の軍人が破ったなら銃殺されるかも知れないルール、というのは言い過ぎかもしれないけど。
COVID-19で、死ぬかもしれない、だから病院にすぐ行って、検査してもらいたい。
自分や自分の身近な人を死なせない為の行動としては、それは一番近道に思えるかも知れない。
でも、いきなり行ったからと言って、望む検査を受けられる可能性は高くない。むしろ低いんじゃなかろうか。
そしてその行動は、自分や自分の身近な人「じゃない人」を死なせるリスクを高める行動でもある。実際感染していたとしたらうつす可能性があるし、そんなルール無用の残虐ファイトで、激戦地で働く人たちはさらにしんどい思いをすることになる。
それぞれの立場で「最善」とされる行動、決して自分本位でなく、社会的立ち位置においての「最善」にそって動くことが、このCOVID-19という災禍の闘い方なんだろう。
似たようなことを、もう一つの激戦地、マスクや衛生用品を扱う小売店にも言える。
売る側の立場として、嫌がらせのように商品をわざと売らなかったり、隠したりする筈はない。
ただ、偏りが少なくなるように制限や調節を行うことはあるだろう。そこに、消費者個人に対する悪意は存在しない。
売る側に悪意はないのに、自分の欲しいものが手に入らなかったからと言って店員さんに暴言を吐いたりして傷つける人間が多いという。これも激戦地で闘う人たちを消耗させる、言ってしまえば死に近づける行為だと思う。
暴言は吐かないにせよ、買い占めに走る人も同罪。戦時中なら銃殺である。
去年、「ONE TEAM」って言葉が流行語になったけど、軍紀を乱すような人たちの脳裏には、そんな言葉はかすめたりもしないのだろう。
あれ、もっとポンポンと比較してくつもりだったのに、最初の話が長くなり過ぎた。
闇市と転売
これは見出しの時点でほとんど文意は伝わると思うけど、
COVID-19の不安が国内で広がる中で、メルカリでマスクなどの衛生用品が高額転売されていて、その後規制されたっていう状況があった。
供給が不足している物資が通常の流通経路ではないところで高値で売買されるというのは、戦中戦後の闇市に似ているんじゃないだろうか、と漠然と思った。
そして明確な違いとして、闇市は政府が取り締まりきれなかった(規制・統制は行ったけれども)のに対し、メルカリ転売はすぐに劇的に高額転売ができなくなったこと。
闘う為の産業・金属類回収令と布マスク配布
ものすごくざっくり言えば、
「戦時中の鉄、COVID-19でのマスク」
みたいな話。
先の戦争における、主たる軍事産業、あえて言いかえるなら「闘う為の産業」は、戦車・戦闘機などの重工業、造船業など、とかく金属を大量に必要とするものだった。
戦争中の市民の生活を描いた映画なんかで、軍に家庭の金属製品を供出しているシーンを見たことはないだろうか。
「金属類回収令」というのが発布されていて、家庭の薬缶や鍋、お寺の釣鐘や学校の校門など、軍事関連の産業に回すために民間から金属を接収した、というやつ。
戦争で闘う為に、不足している物資を民間から接収する、ってこと。
一方、今回のCOVID-19においての主たる「闘う為の産業」は、マスクや消毒液などの衛生用品。
この時点で、「主に攻撃する為」の鉄関連、重工業と、「主に守る為」のマスクなどの衛生用品、という対比ができる。
そして、その「闘う為の産業」に対して行われた政府の施策に関しても、比較ができる。
マスクの不足、という事態に対して、政府がとった布マスク配布政策、いわゆるアベノマスク。
これは、再利用可能な布マスクを各家庭に配布することで、民間のサージカルマスク=不織布マスクの消費を抑制して、いわゆる激戦地である医療機関にサージカルマスクが行き届きやすくするという施策(の筈)。
実際、布マスクは、外からの感染を防ぐ効果ではサージカルマスクより多少劣る(面積的なところとかで)にしても、飛沫による感染を防ぐ効果は期待できるので、一般にマスクが「うつされないよりも、うつさないためのもの」とされる今回の事態においては、ものすごく有効な施策だと思う。
このアベノマスク=布マスク配布政策と、戦時中の金属類回収令を比較してみる。
共通しているのは、「政府が(激)戦地に不足している物資を供給するために行ったものである」という点。
異なるのは、金属類回収令が、民間から金属を「もらう」施策であることに対し、アベノマスクが、民間にマスクを「あげる」施策であること。
戦地への物資供給が目的なのは同じで、「もらう」と「あげる」が真逆なのは、なんかおもろい。
これを、金属回収令を同じように、政府がマスク製造元から商品を強制的に接収して、医療機関に配布する、という「もらう」メインの政策だったなら、反発はものすごく大きかったと予想される。
政府への批判に対して思うこと
でも、政府与党、政策実行者が異なれば、上に書いたような施策、マスク強制接収策が行われた可能性だってゼロではない。
話が少しずれるけど、2011年の東日本大震災の翌日、福島第一原発に当時の首相が乗り込んで、結果、現場の事態を改善する要因には決してならなかった(だいぶ遠慮した書き方をしています)。
これは、言うなれば今のCOVID-19の惨禍の中で、首相が完全防護仕様で都内の医療施設を視察するようなもの。実際には首相はそんなことはしていないけど。するわけがないけど。
そんな、現場をかき乱すようなことをしないだけ、星野源さんの動画に乗っかって優雅にお茶飲んで犬と戯れている映像流すくらい、可愛いもんだと個人的には思う。
安倍さんのイッヌ動画もそうだし、麻生さんの「手を挙げた人に」もそうだけど、人の行動・言動の一挙手一投足をつかまえて批判している人を見るとうんざりする。
安倍首相のイッヌ動画は、「家にいてほしい」というメッセージを発信したかったものであって、そこにそれ以上の意味はないと思う。「うほ、お茶うめえwww」とか、「どや、うちのイッヌかわいかろう?」とかいう意図はないはず。行政のトップとして、感染拡大を抑えるための発信手段として、SNSの流行りに乗っかってみる、というのは、そんな叩かれる行動なんだろうか?
麻生さんが「手を挙げた人に現金給付」って発言したのは、「生活に余裕があって10万円給付を必要としない人もいるだろうから、手を挙げた(必要だから申請した)人に給付する」という意味としかとれない。当たり前のことを言っている。
10万円給付に関して、世帯主に給付、というのは確かに、それで給付から零れる人も出てきてしまうことがあるから批判される余地はある。けど、だからといって本当の「全個人」に給付とすると、そこにかかる労力・コストは跳ね上がることが予想される。口座の有無の確認、不正受給の防止など、見なければいけない範囲が格段に広くなるからだ。
税制管理上の便宜から、世帯主に給付、とするのは合理的だと、僕は思う。
政策の是非に関しては、書き始めるとややこしいので少し控えて、
僕が言いたいのは、やたらめったら批判したって仕方がないじゃないか、という話。
もちろん、休業補償がされずに苦しい思いをしている個人、事業者の方々が政府に援助を求めることを否定するつもりはない。
ただ、それはあくまで毅然として粛々と行われるべきものであって、攻撃的な言動や態度、悪意のある表現で行われるべきではないと思う。
要求するのは自由。政府がそれに応じられるかどうかはわからない。
よその国の政府と比べてどうだ、よその自治体と比べてどうだ、って言いたくなるのもわかる。
けど、これに関しては本当に「よそはよそ、うちはうち」だとしか言いようがない。
うちはうち、いのちだいじに
ここで言う、「うちはうち」というのは、自分や自分の家庭が置かれた状況で、最善を尽くすしかない、という意味。
仮に、仕事がなくなってしまって、明日にでも路頭に迷ってしまいそうな状況だとして、
いまちょろっと求人サイトを見て来たけど、仕事は全くないわけではない。
生活のレベルを下げて、職種を選ばなければ、生き延びることはできるはずである。
これまでやってきたお店が閉店を余儀なくされたとして、軽く言って申し訳ないけど、死ぬよりはマシとしか言いようがない。
僕はちょうど個人的に仕事の谷間の時期にCOVID-19が来たので正直けっこうしんどいけど、もともと生活のレベルが高くないので、暮らし向き自体にそう変わりがない。書いていて少し悲しいけど。借金は少し増えたけど。なんとかなった。さっき言った日雇いの仕事も何度かやった。なんとかなった。
どんな手段を選んでも、生き延びることを最優先にしなければいけない。最初にも書いたけど、いのちだいじに。
だから、他の人の批判だったり、感染した人の魔女狩りうわさ話なんかしてるんじゃなく、自分や自分の周りの人にとっての最善を考えて行動することをおすすめしたい。
悲しいことに、僕の故郷、徳島では、感染者がでるとすごい勢いで噂が回るらしい。「感染した〇〇さんとこの子、△△の幼稚園にいっきょるらしいでよ」みたいな。
話す相手の身を案じての情報共有なのかもしれないけど、その話を広められてる側としたらたまったもんじゃない。しかも噂はいつどこでひん曲がるか分かったものじゃない。感染者やその家族の情報を広める行為は控えましょう。
まとめ
戦争ではないけれど、戦争と並べて語られるような惨禍の中に僕たちはいる。だから、肉体的であれ、精神的であれ、経済的であれ、痛みを受けてしまうことは避けがたい。
願わくば、人に余計な痛みを与えず、誰かの痛みを軽減できるような人間でありたい。
とか言いつつ、既にこの文章で嫌な思いをした人がいたらごめんなさい。
考えたことをばーっと書いていたら、8000文字近くになってしまった。
構成とか全く考えていない乱筆、また何か書き加えたくなったら注釈付きで追記します。
最後までお読み下さり、ありがとうございます。
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