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能力主義に正義はあるか!?
ハフポストで小説家の平野啓一郎氏が、マイケル・サンデル教授の著書「実力も運のうち 能力主義は正義か?」について、ハフポストで対談をしていたので、能力主義について書いてみます。ぜひ、最後までご覧ください
■実力も運のうち能力主義は正義か?
能力のある人だけが、社会で経済的にも報われるのが、正しいのかを問うている本です。能力の高い人が社会で活躍し、能力が相対的に低い人はそれなりの評価を受ける。もちろん、それで、経済格差も生まれる。そこに「正義」はあるかと。
小説家の平野氏は、日本は「実力主義」と言われていました。会社でも実力のある人が出世して、実力がない人はそれほど出世ができない。給料にも反映する。一見、正しく感じますが、どうでしょうか?ぜひ、次の対談動画を観て感想を教えてください。
■能力主義は他よりマシかも知れない
封建時代のように身分が固定されておらず、自分の努力と才能次第で、自分の人生を切り拓いていける。江戸時代以前の日本から現代をみれば、実力主義は素晴らしいと評価されるでしょう。しかし、実力主義も見方を変えれば「残酷」です。
■能力主義は残酷か?
結果とリンクして考えると実力主義は残酷です。大学受験を例にしてお話しします。
大学に合格した。大学合格は自分が努力して、自分に実力があったから当然の結果だ。
大学に落ちた。大学に落ちたのは自分の努力が不足していたからだ。自分に実力がなかったから、当然の結果だ。
極端な比較ですが、実力主義だけで考えると、このようにも考えられます。しかし、実際には生まれもっていた才能や家庭環境、さまざまな要因があり、合格した彼は、努力できたのかも知れません。大学入試に落ちた彼は、たとえば家庭が裕福ではなく、予備校で勉強できなかったのかも知れません。
人は生まれながらに能力差がある。これは事実です。しかし、義務教育では誰もが同じ能力をもって、努力次第で成長できると教えます。この教え方は、今のところ正しいでしょう。やがて、高校受験、大学受験、就職へと「努力をすれば報われる」という思考回路が強化されていきます。
「人は生まれながらに能力差がある」。これは再考されてもいいのかも知れません。教育においても、それぞれの人にあった教え方が正しいでしょう。もちろん、先生が一人ひとりに応じて教え方を変えることは難しいと思います。しかし、ITが教育を変える可能性はあると思うのです。
■能力主義は封建社会の中に
ところで日本の政治家には世襲議員が多いと思いませんか?まさに生まれながらに差があるのです。世襲議員の政治能力が高いのであればいいのですが、多くは三バンを親から受け継いで政治家になりました。
三バンとは「ジバン(地盤)、カンバン(看板)、カバン(鞄)」のことです。たしかに選挙はあるけれど、実力だけではなく、親の遺産で当選している世襲議員。日本の政治は封建社会の中にあります。
医者の子どもも、医者になることが多いですね。少なくとも医大を受験するので、勉強ができることは、間違いないでしょう。家庭環境などが影響している部分はあると思うのですが、ここはあまり私も解明できていません。
■能力主義は必要悪か?
社会を円滑に動かすためには、能力のある人にリーダーになってもらう必要があります。政治も経済もそうです。残酷な側面はありますが、実力主義(能力主義)は必要なのです。その意味で、能力主義は必要悪と言えます。
それでは能力が劣っている人はどうすればいいのでしょうか?働きアリと割り切って、リーダーの言う通りに働けばいいだけ?それで対価として、リーダーよりはるかに少ない給料をもらい続ければ満足できるのでしょうか?
動画の最後のパートで語られているのですが、人について評価する「面」を変えることが解決策のひとつです。人は給料の金額とか社会的地位とかを評価の基準にしています。しかし、その評価は「経済的」「労働的」な面からみたものに過ぎません。
人は社会的地位以外にも社会の一員としていろいろな役割を担っています。学校の役員・自治会・趣味など、さまざまな側面があります。
たとえば、自分は社会的地位ではそれほど満足できなかったけれど、父親の役割は十分にはたしている。能力主義の負の側面、「自己肯定感の低下」を打ち消す必要があるのです。
また、社会もいろいろな面から人を評価するように変わっていく必要があると思うのです。単に肩書で評価するのではなく……。しかし、ここは社会システムの問題なので、すぐに答えは出てこないでしょう。
■能力主義に個性で勝つ
まず、自己肯定感を保てるようにならないと、人は幸せになれません。しかし、自分の評価を他人からの評価に頼っている間は、自己肯定感はとても不安定です。まず、自立した自己肯定感を作る必要があります。
そのための近道は情報発信です。noteを含めたSNSなどを利用して、自分の情報をどんどん開示していく。他の人に自分を見てもらうというのは、自分の多面性に気づくきっかけになります。また、コミュニティに入り、何かの役割をするというのも、自分の知らない面に気づくチャンスです。
■能力主義未満からの出発
政治家も世襲議員が多く、ジェンダーギャップもある。日本はまだ封建社会で動いているのかも知れません。しかし、孫正義氏、三木谷浩史氏のような起業家も出てきました。
たしかに能力主義だけでは、すべての人が幸せになるのは難しいでしょう。そこに社会が人の多面性を評価してくれるシステムができる。そして、何より自分が自分自身の多面性に気づき、自己肯定感を高く保つことがあわせて必要になるでしょう。
日本の若者が「自分自身に満足している」と思っている人は50%未満です。
参考:自己認識|平成26年版子ども・若者白書(全体版) - 内閣府
そして、私が知っている人の中にも、自己肯定感が低くて苦しんでいる人がいます。
つまり、「能力主義だけでは、正義にならない」。それが私の答えです。
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![Hiroshi Yoshida](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/91566227/profile_298061e5614088eec1c8b2f1a607dfd5.jpg?width=600&crop=1:1,smart)