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バーリ到着。南イタリア奥の細道振り返り

イタリアは11月4日の土曜日です。14時すぎ、南イタリアはプーリアの州都・バーリに到着しました。朝9時すぎにペスキチを出発しましたので、きっちり5時間かかりました。

バーリの海岸通りを散歩

ここでは、なんの予定もありません。もともと、アルベロベッロへい行こうと3泊のバーリ滞在を計画したのです。

アルベロベッロというのは、白壁の家に石造りのとんがり屋根で知られる世界遺産の村です。おとぎ話に出てくるような佇まいのため、南イタリア最大の観光名所といってもよいかと思います。バーリからはそう遠くなく、バスやや私鉄に乗れば1〜2時間ほとで訪ねることができます。

ところが、南イタリアのことを調べるうちに、ペスキチの漁師小屋のことを知り、オイラの優先順位では断然、漁師小屋シフトとなったのです。

ペスキチの「アルトラブッコダミミ」にある魚をとるトラブッコ。描かれている絵の男性がここをつくったミミさん。

なので、アルベロベッロへ行かないのであれば、何もすることがありません。旧市街を散策するという楽しみくらいです。そんなことで先ほど、ローマ同様に駅前ホテルにチェックインしました。

この旅で初めての゙四つ星ホテル。エクセルシオールバーリという、駅前ホテルです。
エクセルシオールバーリの朝食。バリエーション豊富でさすが四つ星という雰囲気でした。

加えて、今回の旅の大きな目的地となったペスキチでのことを、少しだけ振り返る必要が出てきたのです。

アルトラブッコダミミのシェフやギャルソンたちと。

というのも、漁師小屋でのお世話係だったオッタヴィアーノさん(姓)は、実は双子さん(ツインズ=イタリア語ではジェミニ)だったのです。

ややこしいのですが、午後〜夕食時の゙係は兄のヴィンチェンソ・オッタヴィアーノさんが担当。

双子の兄のヴィンチェンソさんと、テーブル担当のマリアさん。

で、朝の係は弟の゙ドミニコ・オッタヴィアーノさん夫婦が担当してくれていたのです。二人はとてもよく似ているなと思っていたのです。

弟のドミニコさん夫婦。絵に描いたような美男美女。

私が不思議そうな顔をしていたからか、朝の係のドミニコさんのmoglie=奥さんが、「二人はジェミニ(双子)、ツインズなんです」と教えてくれました。なるほど、それで納得です。

タイトル上の写真がドミニコ・オッタヴィアーノさん夫妻です。ちなみにドミニコさんは33歳とのことです。

オッタヴィアーノさん一家の濃いファミリアの話も少しだけうかがいました。そもそも、このトラブッコをつくり、漁師小屋でリストランテを始めたのは祖父のミミさんでした。すでに亡くなっています。で、このレストランを「Al Trabucco da Mimi」として近代化したのが、ミミさんの息子と奥さんだそう。今回、オイラのお世話してくれた兄ヴィンチェンソさん、弟ドミニコさんのパードレ(父)と、マンマ(母)になります。

ちなみに、ビジネスとして大成功している「Al Trabucco da MImi」は、例年3月から11月いっぱいの営業。フランスとドイツからのツーリストが大半で、あとはアメリカからが少々。ハイシーズは6月~9月で、この間のリストランテはほぼ連日予約だけで満席になるとのことでした。

アルトラブッコダミミはテラス席以外のお部屋席もありました。
アルトラブッコダミミの入り口付近。アドリア海に突き出したガルガーノ半島の突端にあります。

部屋もフランス人、ドイツ人が好む最新のおしゃれ仕様にし、ネット予約システムやインスタグラム、FacebookなどのSNS環境も整備。リストランテのメニューもフレンチで修業したシェフによる地産地消のイタリアンをウリに、リストランテも、宿も大繁盛。

宿の漁師小屋。ひとつひとつの部屋が小屋として独立しています。外の雰囲気も素晴らしい。

そこを実際に切り盛りしているのが、先のヴィンチェンソ兄と弟さんなのでした。

日本からのお客さんはほとんどいないとのことで、弟ドミニコさんによれば「ちょっと記憶にない」とのことでした。オイラ、光栄です。

その理由もドミニコさんは話してくれました。「ここは高速道路がないので、ローマからは時間がかかります。フランスやドイツのツーリストは、夏のバカンスでやってくるのでペスキチにずっと滞在するのですが、日本人の゙ツアースタイルはそうではない。何か所も観光地を回るでしょ。だから、アクセスに時間のかかるペスキチには誰も来ないのです」と。なるほどなるほど。そんなところにこつ然とやってきたオイラだったのです。

リストランテはお昼(pranzo)、夕方(アペリティーボ)、夜(cena)の営業で、宿(漁師小屋)は4部屋のみ。オイラが泊まった2日間(2 notti)のゲストはオイラだけでした。なので、広い部屋に無料でアップグレードまでしてくれました。

オイラが到着するまでは本当に日本人が1人でやって来るのか、半信半疑だったそうです。とこらが、実際に現われてしまったので、あとは大歓迎していただきました。はい、帰る日の車は弟ドミニコさんがバスターミナルまできっちり送ってくれました。

日本からのお客はほぼ皆無な漁師小屋ですが、兄ヴィンチェンソさんも、弟ドメニコさんもじつは日本が好きで、すでに東京には2回も来ていたのです。しかも、2回目は先月10月とのこと。来年も行きたいとのこと。「東京に来たら、ぜひ声をかけてね。おもいっきりごちそうします」と、オイラ。ペスキチで受けた歓待は夢のような時間でした。オイラのつたないイタリア語を一生懸命に聞いてくれて、また答えてくれた。だから、心からそう思っています。

しっかし、オイラもかなり根ほり葉ほりオッタヴィアーノさん一家のことを聞いていますね。週刊誌にいた時代の性(さが)がまだ抜けていないようです。

最後にひとこと。このnote記事は、ナポリへ向かう高速列車フレッチャロッサのなかで書きました。エコノミービジネスクラスという妙な座席ですが、Wi-Fiもつながり、らくちんでnoteにアップできました。

以上、長々と記しました。Ci vediamo!  またお会いしましょう。



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