インフルエンザ21世紀

(2011年8月にMixiに投稿した記事の再掲です)

瀬名秀明著「インフルエンザ21世紀」を読みました。

先日(東日本大震災直後の2011年6月に)盛岡で行われた人工知能学会大会の基調講演で、「渾身の作なので読んでください」と著者自身が言っていた本です。確かに迫力のある本でした。

2009年の新型インフルエンザのときに、関係者の方々どのように対応したか、丹念に取材を重ねて書いた本です。インフルエンザのパンデミックを扱ってはいますが、ここで書かれたことは、今回の震災や原子力の災害についてもまさに言えることだと思います。だからこそ瀬名さんは、6月の人工知能学会大会において、是非読んでください、と言ったのでしょう。

想像力と勇気

本書の「まえがき」は次のような言葉で締めくくられています。「想像力と勇気の物語が始まる。」うかつにも、私はこの言葉を読み飛ばしていたに違いありません。

そして、379ページまで読み進んだとき、「そして本書は想像力と勇気についての本になった」という一文を見て、鳥肌が立ちました。そうか。そうだったのか。

鳥インフルエンザのウィルスはシベリアの湖沼からカモなどの渡り鳥によって運ばれてきます。そして、そのウィルスは豚などの家畜の体内で、他のウィルスとの組み合わせによってどんどん変異していき、ある時点でヒトからヒトへ感染するような種類のものになります。ヒトの社会における感染は、家庭や学校や職場における接触、人々の国際的な移動、それぞれの社会における衛生状態や生活習慣など、様々な要因によって影響を受けます。ある地域でワクチンを使ったことが、却ってワクチン耐性の強いウィルスの発現を促進することになり、ワクチンの普及していない地域の人々を苦しめるかもしれません。海外渡航者を隔離する水際作戦に力を入れるあまり、地域の保健所の検査体制がおろそかになるかもしれません。あるいは、感染の事実を報道することが、風評被害の温床になるかもしれません。

ウィルス対策はだから、非常に複雑で、かつ未知の事象を扱わなければならない、その中では、「絶対」ということはまずあり得ない、できることは、「この対策をしたら、どのような影響があるだろうか」を想像してみることだけだ、ということなのだと思います。もう少し詳しく言えば、東北大学の押谷仁教授のおっしゃる「他者への想像力」を働かせ、「適切にこわがる」すなわち、楽観的になりすぎず、悲観的になりすぎず、そして決して絶望しない、ということなのだと思います。

そして、このように想像力を働かせて、その想像力に基づいて勇気を持ってインフルエンザに立ち向かった人たちの姿を500ページにわたって淡々と描いたのが、この本なのです。

「現場」とは何か。「専門家」とは何か。

この本で筆者は、繰り返し「現場とは何か」、「専門家とは何か」を問いかけています。2009年のパンデミックの時も、今回の震災においても、必ず中央の意思決定者と、現場あるいは専門家の意見との相克が現れてきます。「現場を見ずに物事を決めるな」という悲痛な叫びがあちこちから出るのは、仕方のないことでしょう。多くの専門家が、それぞれの専門の立場から意見を述べ、それらがお互いに矛盾することも多いでしょう。

それでも、すべての現場を見て、すべての専門家の意見を聞くことはできません。現場の事情はそれぞれの現場によって異なります。だから、自分の現場だけの知識に基づいて、「インフルエンザ対策はこうあるべきだ」と主張するのは間違っています。しかし、現場を全く知らなければ、前述の「想像力」もなかなか働かないのではないでしょうか。

著者は、「自分の現場というのは、本来ボキャブラリであって、コミュニケーションツールである」と言っています。ある現場を知っていることで、他の現場からの声を理解できる、その現場に行かなくても、何が起きているのかまざまざと想像できる、つまり、現場の経験というのはコミュニケーションのツールなのである、というのが、多くのインタビューを通して筆者が見つけだしたことのようです。

「専門家」についても、同じことが言えそうです。専門家の話は、それぞれの専門の分野からの見方だから、それを鵜呑みにしてはならない。でも、一つの専門を深く理解することは、他の専門家の意見をどのように聞いたらよいか、という指標になるのでしょう。

終わりのない対話

著者の6月の講演では、震災後の我々は3つの対話を繰り返していかなければならないのだ、と力説されていました。3つの対話とは、「真実へ至る対話」「合意へ至る対話」「終わりのない対話」の3種類です。そして、その時は「そんなものかな」と思って聞いていましたが、この本を読み終えた今、まさにそのとおりだ、と思います。

著者はこの本を書き始めるときに、「人類とウィルスとの果てしのない戦い」を描こう、と思っていたのかもしれません。でも、インタビューを続けていくうちに、「ウィルスとの果てしのない戦いではない。これは私たち自身の終わりのない対話なのである。」と思い至ったのに違いありません。

インフルエンザウィルスはどんどん変化していきますから、近い将来にインフルエンザを根絶できる見通しはありません。私たちにできることは、インフルエンザが存在することを前提に、「どのような社会を作っていきたいか」を問い続けることなのです。

そのためには、まず知らなければならないことがあります。インフルエンザはどのようなメカニズムで発生し、感染し、無害化されていくのでしょうか。まだまだ私たちの科学技術は未熟で、わからないことがたくさんあります。わからないことを明らかにしていくのが、「真実へ至る対話」です。

しかし、真実がわかったところで、社会における意思決定ができるわけではありません。ある特定のグループのリスクを小さくすると、他の人々のリスクが上がるかもしれません。そのような中で、私たちは社会としての意思を決めていかなければなりません。これが「合意へ至る対話」です。

そして、私たちがどのような社会を目指したいのか、これには「終わりのない対話」が必要でしょう。この「3つの対話」はインフルエンザ対策に限った話ではありません。震災とその復興について、原子力について、私たちはまさにこの3つの対話を重ねていかなければならないのではないでしょうか。

終わりに

この本はちょうど500ページの大部です。しかも、必ずしも読みやすい本とは言えません。多くの人名、地名、専門用語を含む大量の事実が書かれていますし、それらは一見、有機的につながっていません。しかし、この本は、通して全部読むべきだと思います。そうでないと、上記の3つのことがら、すなわち「想像力と勇気」「現場とは何か」「3つの対話」を心から理解することができないと思うからです。

私たちはよく、「結論を先に言え」という訓練を受けます。企業にいるときには、私も部下にそういう指導をしてきた覚えがあります。しかし、ものごとを単純な言葉で簡単化して説明することには大きな危険があると、最近特に感じています。先日読んだ「ブラック・スワン」でも、「プラトン的なもの」すなわち理想化され抽象化されたものだけを扱う風潮に警鐘を鳴らしていました。

この本に登場する28名の当事者の話を全部読んでください。きっと、インフルエンザのみならず、震災やその他の問題は、「想像力と勇気の物語」なのだ、ということがわかると思います。


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