世界を変えるはずだった「デザイン思考」はどこで間違ったのか

MIT Technology Reviewに2月に掲載されたRebecca Ackermann氏の表題の記事を読みました。

https://www.technologyreview.com/2023/02/09/1067821/design-thinking-retrospective-what-went-wrong/

世界を変えるはずだった「デザイン思考」はどこで間違ったのか、という記事です。日本語版もあるのですが、最後まで読むには課金しなければなりません。この記事は、最後まで読む価値があると思うので、英語版で読むことをお勧めします。

デザイン思考は、デザインのような創造的な仕事を1人の天才が行うものから多くの人の協調的な作業に変えた、という意味で画期的な方法論です。シリコンバレーのIDEO社や、スタンフォード大学のdスクールの名前を聞いたことがある人も多いでしょう。よく知られた、ポストイットを使ったブレインストーミングやプロトタイピングなどのステップを含め、6つのステップからなるプロセスでデザインを行うことを推進しています。

デザイン思考を使えば誰にでもイノベーションを起こせる、という触れ込みはシリコンバレーの隆盛とともに多くの注目を集め、21世紀に入るころから、様々な企業がIDEOのようなデザインファームに支援を依頼するようになりました。しかし、とこの記事の著者は言います。「イノベーション劇場」が常態化し、多くのプロジェクトがパイロットで終わっているのだ、と。

実はこれは、デザイン思考に限らず、様々な場面でプロジェクトの上流工程を外注する際に起きることだと思います。多くのデータ分析のプロジェクトがPoC(Proof of Concept)で終わってしまう、いわゆる「PoC貧乏」はよく知られた現象です。より広くは、コンサルティング全般に言えることなのではないでしょうか。プロジェクトの本当の難しさは、上流のアイディアにあるのではなく、必要な予算と人員を確保し、関連するステークホルダを納得させ、社会一般に対するものも含めた複雑な影響関係を考慮する、というプロジェクトの実装・運用部分にある、というのは多くの人が理解していることだと思います。コンサルタントは限られた予算と時間で支援をし、パイロットの段階で成功を宣言し、いなくなります。実は実装はデザイン思考の6番目なのですが、しばしばデザイン思考の教科書から省かれているそうです。なぜでしょうか。

著者は、これがデザイン思考の商業主義の側面によるものと考えているようです。デザイン思考がもてはやされた結果、プロジェクトにおけるデザイナーばかりに光があたる、しかもその多くが西側世界の白人である、ということが労働の世界における新たなヒエラルキーをもたらしていないだろうか、と。

コンサルタントなど専門家が対価を受け取りアドバイスを提供する事業では、しばしば顧客に対して「自分はなんでも知っている」という態度を取りがちです。それが自分の価値だと思うからです(私自身、コンサルタントだったことがあるので、その気持ちは痛いほどよくわかります)。しかし、そのことで「自分たちが提供する知識やアイディアはその実装よりも価値がある」と勘違いしてはなりません。

この記事の中には、元IDEO社のデザイナー、George Ayeのストーリーが語られています。彼は現在、NPOの仕事しかしていません。新たな知識やアイディアを提供するのではなく、顧客が既に持っているアイディアを、いかにより良いものにしていくかを考え、必要なリソースを得たり、関係各所との調整を支援します。そして、プロジェクトがうまく行くのを見届けて静かに立ち去ります。現場にいる人が舞台の中央に立っていなければ、それは “profit-centered design” に過ぎない、と彼は言っているそうです。

この考え方は、デザイン思考に限らず、コンサルティング会社など専門知識を支援するビジネス全般にあてはまるのかもしれません。心に留めておきたいと思います。


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