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六甲縦走

大学の3回生から院の1回生までの3年ほどどこに就職するかでずっと悩んでいた。大学3回生のとき大分の製鉄所に2週間か3週間ほど工場実習に行った。
その頃はマスコミにも少し関心があった。今思い出せばその頃から物書きになってもいいぐらいの色目が無くもなかった。その一方で、学んでいるのは工学部の機械物理工学である。普通ならメーカーに勤める。その頃はメーカーに勤めることイコールモノ作りのアイデアを毎日頭からひねり出す、というイメージがあり自分にはとても無理だと思っていた。そんなイメージが正しいのかどうなのか。それを知るために工場実習に行くと決めたのが3回生の春のこと。今は知らないがその頃は夏休みに3回生と院1回生に主要工場を持つメーカーの工場実習の募集があった。父の助言もあり素材受け入れから製品製作までの一貫生産のフローがある製鉄所を選んだ。

結局その工場実習の経験から自分でもメーカーでやっていけると感じた。大分の工場が大したことなかった、という訳では決してない。日々の地味な仕事の積み重ねが業務の基本であり何か新しいアイデアを出して出し続けてモノ作りが成り立つ、という勝手な偏見が見事に覆されたからである。

その大学3回生の夏の経験から院生のときにはメーカーに勤めることに決めていた。ひょんなことから院の1回生のときに研究室の2年先輩が就職した企業の奨学生になる。

そんなこんなでその企業に事実上就職は決まっていた。決まってはいたがこの企業は東京より西の各地に事業所がある。当時一番望んでいた航空機製作所が名古屋にあった。次に望んでいたのが造船所で長崎と下関と神戸にあった。下関は比較的小規模で当時とりあえず除外。そうすると名古屋と神戸と長崎の3択になる。
結局それぞれの工場にも見学という形でお邪魔した。その一方でそれぞれをテーマにした文庫本を読んで参考にした。
名古屋は堀越二郎「零戦」。長崎は吉村昭「戦艦武蔵」。そして神戸が新田次郎「孤高の人」。
「零戦」は言わずと知れた太平洋戦争中に活躍した日本軍の名機でそれを設計したのが堀越二郎、大先輩である。「戦艦武蔵」も戦艦大和の同型船であり2番艦。長崎造船所で太平洋戦争中に製造された。「孤高の人」は登山家の「加藤文太郎」がモデルであるが神戸造船所の造船技師であった。

神戸造船所は和田岬にある。その北には六甲山脈が東西に広がる。神戸の特徴は海に面した中心街のすぐ北にこの山脈が連なり海に迫っていることだ。裏返せば、街中からすぐ登山に行けるということでもある。

「孤高の人」はそんな神戸の街を背景に物語が進む。

大学入学の年に神戸を離れたのが20歳目前。そしてとうとうこの街で働くことになった。ならば六甲縦走をやろうじゃないか。全ルート50キロを越えるという。とても一度に出来るレベルにないが少しずつルートを歩き走ろう。そんな期待を今胸に思い描いている。


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