アトピー考 その19 ー親子関係
アトピーについて考える。1つ目は身体の緊張とアトピーの関係について、2つ目は喘息とアトピーについて、3つ目は体温について、4/5つ目は感情について、6/7つ目と14回目に脱砂糖について、8つ目に求められる即効性とタイムラグについて、9つ目では身体を振り返る、体調を知る方法について、10回目は着る服について、11回目はお医者さんとの関係について、12回目はカミングアウトについて、13回目については呼吸について、15回目はアトピーホルダーの理解者や応援者について、16回目は掻くという行為について、17回目は皮膚と筋肉について、18回目はアトピービジネス(癌ビジネス)について私見を書いた。
19回目の今回は親子関係について考えてみる。
まずは自分と自分の両親との関係について。父は11年ほど前に亡くなった。母は幸いなことに今健在である。幼少の頃からアレルギー体質で両親に心配をかけた。自分には弟がいるのだが弟は健康面では問題がなくそのことがますます自分の方に両親の関心が片寄って何とかして喘息やアトピーを治そうと躍起になった。
健康面で問題のある子供を持つと親が心配していろいろ子供にコミット(関与)するのは極めて自然なことだ。ところが、自分の両親はその健康面の不安が少しずつ解消されてもそのコミットの強さあるいは濃度を変えなかった。
物心ついた頃から両親は絶対だった。ある種の独り立ちを意識したのは小学校4年生のときである。父の転勤に伴い小学校を転校した。関東の片田舎から阪神間のまあまあ人口のある街に移った。小学校も4年目になると親とは隔離された子供独自の世界がある。転校してクラスに溶け込むためにはやはり親に頼ることなく独自で子供の世界の中でやっていくしかなかった。それまでにももちろん大人が介在しない子供の世界はあるにはあった。4年生の転校を機に変わったのは子供の世界に関して親といえども助けてもらえない。助けを期待出来ない。その考えをはっきり意識したことにあると思う。
そう感じても親離れは完全ではない。親の子離れも必要だ。子供としても親から精神的に独立しようとして出来ないのは親が子離れ出来ないことにもその一端があると思う。
自分の場合は長男であり身体の病弱な子供であった。その初めての子供に関わるあまり両親が自身を犠牲にしてますます子供にコミットしていく。親と子供の関係、距離感を上手く取れない相互のジレンマがアトピーや喘息に影響している。そんな気がしている。健康問題だけでなくその他の日常の生活にまでいろいろ親が子供に干渉する。干渉してしまう。もともとは仕方がないことなのだ。何をするにも基本は身体のこと、健康が第一にある。なので子供が成長するとともに何か新しいことを始める際なにかと一言二言言わざるを得ない。その心理はよく分かる。しかし、どこかでその親子関係、絡まった糸を切らねばならない。
自分はその糸を切る機会が就職であった。経済的独立とともに精神的にも独立するきっかけにはなった。(今でも完全に独立したとはとても言いがたいが。)両親にしても経済的にも物理的にも離れて暮らす子供には干渉したくても干渉出来ない様にはなった。
今も両親に感謝している。そして今でも親から独立したいと思っている。心のどこかで親を頼りにし親に依存している部分が自分にはある。この依存心を振り切る。自分の弱さを認めた上で自分の存在が両親あってのことと感謝する。
一方で自分の存在は両親とは全く別の存在であり別個のものだと深く感じる。その過程を丁寧にたどっていけば自然とアトピーも解決されていくのではないか。そう感じている。50歳を過ぎている。半世紀をいきたことになる。ならば、たとえ親が子離れしてなくても適当に適切に親との距離感を上手くコントロールする術ぐらいは身につけておくことが大切で当然のことだろう。