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雌伏のとき<西メソ集その3>

西田メソッドと称する西田英司先生(企業再生家)主催のスクールがある。このスクールは2019年12月現在第5期で自分はこの5期生として訓を仰いでいる。
そのスクールにて「人の再生」というテーマで西田先生は生き方を説いている。その内容を書き言葉で再生することで自分の中で整理し反芻し、更に時間を経た後に読み返し思い返すことでフィードバックすることがあるかと考え記することにした。

今回のテーマは個人的に当てはまる治療僧の立場で「雌伏のとき」とした。

西メソのスクール生は「修行僧」と「治療僧」がいる。この2つに分けられる。修行僧は覚醒に向けて邁進する人であり、4つの要素で構成される曼陀羅を形良く整えていくことを目指す。治療僧は健康上に問題を抱え覚醒を目指す前の段階で身体を特に整える必要がある状態の人を指す。曼陀羅のうち身体、健康という一つ目の要素を整える。「治療僧」を卒業したら晴れて「修行僧」になれる。

身体を整える。健康でないと当然身体が思う様に動かない。それは曼陀羅の二つ目の要素、感情にも悪影響を及ぼす。疲れていると感情も不安定になり易い。安らかな感情を保つためにも自身の内のエネルギーを溜める。

身体を整える。健康を取り戻す。そのプロセスにおいては外から見て変化は無い。西田先生はそれを蝶になる前のサナギに例える。サナギは細胞レベルでは徐々に変化を起こしているのかも知れない。しかし、少なくとも外見上は何の変化もない。この変化のない状態を耐えることが大切だと説く。変化が無くても受け入れて変化し始めるまで待つことが肝要である、と。

いわば、待つということは充電期間を過ごすことである。今現在、「治療僧」を自認している自分はどの様にこの待つ、を出来るか。いろいろ考えていた。サナギが蝶に変態する前をどの様に過ごすのか。ついつい焦ってしまいそうな自分をどの様に制御するか、どの様に心静かに過ごせるか。変化のない状態が続くと本当にいずれ変化が訪れるのだろうか、と疑いたくなる。変態は起きるのだろうか。今その準備をきちんと迎えるべく自分は生活しているのだろうか。怠けているのではないか。変わっていけば変化していれば何かしらの結果が見えていることになるから気持ちは安定する。精神的に落ち着く。しかし、エネルギーを溜めて来るべき満を持して打って出る機会は本当に訪れるのだろうか。そんな疑心暗鬼に陥ると悪いループにハマるだけだ。変化のない状況を受け入れただひたすら待つ。それが出来るかどうかが自分のテーマである。

サナギの状態では要らぬことをせずに過ごさないといけない。外側のカプセルを傷つけてはならない。身動き出来ない状態で静かにときを過ごす。雌伏の時である。

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