親離れとモータープール
親離れをしたのはいつの頃だったろうか。物理的空間的に親離れしたという意味では学生時代は下宿生活だったので既に一人で生活していた。が、その時はきちんと実家からの仕送りを有難く受け取っていた。親から離れて暮らした上で更に経済的にも独立したのは社会人になったときのことだ。しかし経済的な自立は精神的なものとはやはりちょっと違う。どこかに実家を頼る気持ちがある。経済的に自立し30年近く経っている今もどこかに実家を頼る気持ちがある。実は自分にとって経済的な自立はさほど大きな変化ではなかった。むしろ小学校時代の親離れの方が大きな転機だったと思っている。
小学校4年生まで母にべったりだった記憶がある。専業主婦だった母はいつも家に居た。学校から帰ってくるといつも迎えてくれた。鍵っ子の多いクラスメートの何人かを学校帰りに家に呼んだこともあった。そんなとき母は何かしらお菓子か何かを用意してくれた。そんなことが当然と思っていた。たまに学校から帰って家に誰もいないと母を探して近所をうろちょろしたこともあった。その環境があるとき激変する。父が仕事の関係で転勤したため小学校4年の半ばに関東から関西へ引っ越ししたことだ。引っ越して転校したことで周りの環境が大きく変わった。大きかったのが言葉の問題。関西弁は関東の地方から越してきた自分には少々乱暴でぶっきらぼうに聞こえた。4年生の半ばで引っ越ししたことで既に半年間分の人間関係が確立していたクラスにいきなり放り込まれたことも不利に働いたのは否めない。今まで感じたことのない孤立感にさいなまされた。
何より最初の出だしで失敗した。転校して新しい学校へ行く初日に母に一緒に来て貰った。新たな転校生を迎える都会の学校の元気で容赦ない歓待ぶりに対し通学初日に独りで乗り込めなかったことが成長の遅れた田舎者と思われたのではないかと気後れしたのである。一緒に来てくれと母に頼んだ際1人で行きなさいと母からたしなめられたこともその気後れを更に増幅した。転校したことで感じたマイナスの感情も何か馴染めない思いも悩まされた孤立感ももはや家には持ち帰れない、そう感じたのである。もっともその思いは両親には伝わってはいたみたいだが。この10歳から11歳にかけて経験した転校という環境の変化にどう対応するか。どう向かうか。両親はもはや頼ることも相談することも出来ない。このとき新たな環境に少しずつ馴染み自分の居場所を作りながら初めて親離れの一歩を踏み出したと思っている。
繰り返しになるが転校して一番悩まされたのが言葉の問題だ。新しい学校へ行く道すがらモータープールという看板をあちこちで目にした。ずいぶん後になって関東や他の地域で言うところの月極駐車場のことだったがその頃モーターとは自動車のことを指すとは知らずこの看板の奥にプールがあるのだと長い間思っていた。今思えばモータープールって何?と素直に聞けば良かった。しかし、聞くと言うのは知らない、分からないという自覚があって初めて聞くことが出来る。モータープールをただのプールと思い込んでいたので誰か他人に聞くことはしなかった。環境の変化は普段使う言葉も変化することになる。モータープールの場合は大して普段の生活に影響は無かった。ただ言葉の変化が気付かないうちに大小の誤解を伴い異次元の世界に迷い込んだ迷い子になった象徴。それがモータープール。
親離れとモータープール。小学校時代の転校がきっかけとなり自分の精神史に大きな飛躍が訪れた。
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