移動遊園地
移動遊園地を知ったのは今から5、6年前ブラジルでのことだった。近々町に遊園地がやって来るという。遊園地を作って(恒久的に)あるという訳ではない。やって来るというのだ。やって来るということは出ていくこともあるのだろうか。現地のブラジル人から噂を聞いたときぼんやりとそんなことを考えた。
今の日本でも時折サーカスがやってくる。駅近くの遊休地や空き地にテントを張り宣伝している。サーカスに興味がなくとも普段何もない空間に遠くからでもテントの先に掲げられた旗が見えたりするとなんだかウキウキした気分になる。誰か誘ったら一緒に行ってくれる相手がいないかなと思い巡らせる。逆に、2ヶ月か3ヶ月のサーカス公演の期間が過ぎてまた元のガラッとした空間に戻るとそれが夏の最中であっても秋か冬の到来の様に物悲しさを感じる。
移動遊園地にも日本で感じたサーカスと似た思いを抱いた。ポルトガル語の語学力の貧弱さ故町のどこにやってくるのか分からなかったが町唯一の大きなスーパーの先の海岸すぐ近くの空き地だった。明らかに子供向けの遊具だ。遊園地なのだから当たり前か。でもそこはブラジル人。子供はもちろん大人も結構楽しんでいる。
移動遊園地で一際目立つのが観覧車だった。日本で見られる様な大きく高いそれではない。何しろ移動可能な観覧車だ。組み立て式の小さな観覧車。高さ10メートルにも満たない、建物とすれば3階程度の高さだろう。初めての移動遊園地なのに何故か見たことある様な観覧車だなと思った。ああ、そうだ。映画「エデンの東」でジェームズ・ディーンが兄の婚約者と一緒に2人で観覧車に乗っているシーンがあった。あれだ。
ハリウッド映画のシーンの様なロマンチックなシーンがブラジルの田舎の空き地で展開される訳ではないのだがやはりその遊園地も移動してどこかへ行ってしまった。残された元の空き地は以前に比べて何故か広々としていた。
移動遊園地。何かその言葉にノスタルジーを感じるのは自分だけだろうか。ロードムービーが好きな身にはひとところに留まっていないものにはそれだけで応援したくなる、惹かれるものがある。しかし、ロードムービーでは帰るところがある。戻るところがあるからこそ物語が成り立つ。しかし、移動遊園地は一体どこに帰るところがあるというのだろう。戻る場所があるのだろうか。
それにしても移動遊園地について書いていて思った。かつての自分が子供だった頃に比べ今は子供の遊び場は消えていく運命にあるのだろうか。空き地自体が減ってかつて自分が友と作った秘密の基地は今は作れそうもない。