紅葉の季節 #シロクマ文芸部
「紅葉から連絡が来なくなったの。離れて暮らすとこんなものね。あんなにかわいがって育ててやったのにさ。
そりゃね、成人して仕事も始めたわけだし、私なんかと一緒にいるよりかは同年代の人といた方が楽しいでしょうよ。
でも、母ひとり子ひとりで生活してきたわけじゃない?電話くらいくれてもバチは当たらないと思うの、私は。いまはLINEがあるからって使い方教えてもらったけど、紅葉からはスタンプしか来ないの。
ねえ、ちょっとマスター、聞いてる?」
「あー、悪りぃ悪りぃ。聞いてるよ、聞いてる」
マスターが返事をした。
ここはカウンター席八席、テーブル席二席の小ぢんまりとしたバー。
五、六十代くらいの女がカウンター席の左端に陣取って、同じような内容のことを延々喋っている。他はひとりで飲んでいる客が二組だけ。
「マスター、本当に聞いてる?
私はね、あの子のことが心配でたまらないの。ひとりじゃ何にも決められないし、できない子なの。私がいないと真っ当に生きていけないのよ。それを無理して家を出てね。偉いわ。偉い子なの。だけど、まだ無理なの。失敗しちゃうの、ひとりだと。だから、私、心配で心配で。
ねえ、マスター。あの子、ここでも少し働いてたんでしょう?何か聞いてない?もう二週間も連絡がないのよ」
マスターはアイスピックで氷を砕いていたが、手を止めて言った。
「紅葉ちゃんか。良い子だったよ。でも、アンタに似て傲慢なところがあってさ、あんまり言うこと聞かないもんだから、消したよ」
「え、どういうこと?マスター、冗談はやめてよ」
「悪りぃな。俺は冗談は言わない。そして、アンタはさっきから俺の店の雰囲気を壊してる。今すぐ帰ってここには二度と来ない方がいい。さもないと……」
女は何か言おうとしたが、さっきまで客だった男二人が背後に立っていることに気づいて黙った。そして、虚をついて素早く店の出口まで移動すると、捨て台詞を吐いて出て行った。
「けけけ、警察に通報するから!」
しばらくしてバーに笑い声が響く。
マスターは笑いながら大声で言った。
「紅葉ちゃん、あんなんで良かった?」
「バッチリよ。まさか消されるとは思ってなかったけど」
店の奥から出てきた紅葉は笑顔で言った。
「消した方がいいんだよ、あの女の頭から」
「うん。でも、大丈夫なの?警察に通報するって言ってたけど」
「大丈夫だ。だって、紅葉ちゃん、君は目の前に生きている。これからは好きに生きるといい」
紅葉は晴々とした顔で力強くうなづいた。
(1020文字)
※シロクマ文芸部に参加させていただきました