レガシーってまずいの?(DX事始め)
レガシーとは
DXの話で出てくるレガシーとは何でしょうか。2018年に出たDXレポートでは、DXの妨げとなっている悪役として登場したレガシーですが、その本来の意味は「遺産」と言う意味でいいも悪いもなく中立的な言葉です。
それがいつの間にか、「時代遅れ outdated」「廃れたもの obsolete」という意味に使われています。事実、デジタルの世界では、古いものに蓋をする「レガシーラッピング」という用語が使われ、レガシーを覆い隠そうとしていました。
レガシーは悪いものか
レガシーは悪いものでしょうか。確かに日進月歩のデジタルの世界では、古いもの、レガシーと呼ばれる大昔のものは、今の最新のデジタルと比較して、悪いもの、時代遅れのものが多くあるでしょう。
そしてレガシーを新しいものに変更する、マイグレーション、リプレース、リホスト、リビルドなどは多く行われています。このために多くのコストをかけています。
しかしレガシーは残っています。それも多く残っています。悪者として、お金がないから仕方なく残っているものが多いでしょう。運用でごまかしながら残っているものも多くあるでしょう。
でもレガシーは悪いものだけではないでしょう。もし時代遅れのものでも、捨てる必要がないものあるでしょう。そうです。レガシーの正邪は見極める必要があります。曇りなき眼(まなこ)で見極める必要があります。
レガシー脱却すればDXは進む?
これが今回のテーマです、一番の問題です。レガシー脱却すれば、その分のお金をDXにつぎ込むことができる、逆に言えば、レガシー対応をしていたから新しいものにお金を掛けられなかったのかということです。
この論調、AでなければBであるという二分論は・・・詐欺のテクニックです。実はCもDもあるのに、AとBだけで同値分割できるということで錯覚させるテクニックです。誰かを説得するときに覚えておく、いえ、騙されないように注意してください。
つまりレガシーにお金をつぎ込まずに済んだときに、DXにお金を掛けるのではなく、別のものにお金を掛ける場合があるでしょう。例えば、日本の経営者が好きな社内留保です。これは成長の機会を逃してもったいないです。
DX推進の一手段としてのレガシー脱却
DX推進とレガシー脱却は別物です。二分論ではありません。直交している問題です。しかしDX推進の投資コストをレガシー脱却したもので賄うのは一つの手段です。
それに何より、DXの価値創造の一つの考え方として、レガシー脱却(過去の束縛からの解放)があります。もちろん、温故知新という考えもあります。
これらをうまく組み合わせてレガシーを考え、DX推進の一つの手段としてレガシー脱却をしていきましょう。
ということで今日の結論。「DXはレガシー脱却とは別」 以上です。