📕「小説において風景描写は必要なのか」❷
「海辺のすぐそばを走っている若い山毛欅の並木道を馬車はすすんだ。海は青く、日光をのどかに反射していた。黄色い円形の燈台が見え、馬車は、入江、防波堤、小さい町の赤屋根、ボートの帆や策具をひろげた狭い港を眺めながらすすんだ。そして、馬車は、街道のはずれの家の間を通り抜け、教会を通り越し、川沿いにのびている「表通り」をガラガラと通り、葡萄の葉ですっかり被われているベランダがついている小ざっぱりとした家の前で止まった」
〜トーマス・マン「ブッデンブローク家の人々(上巻)」第三部第5章より
さて、今回からしばらく素晴らしい風景描写を実例を挙げて解説していこうと思います。まずは、トマス・マンの代表作「ブッデンブローク家の人々」から。
たった五行でトラーヴェミュンデという海辺の街全体をイメージさせる描写です。街を象徴する具体的な対象物を取り上げ、なおかつ、馬車で通り過ぎるというシチュエーション。これがいわゆる「木を見て森を作る」描写です。描写はパーツパーツだけバラバラに書けていてもダメで、そのパーツ同士が絡み合って全体を表現できていなければならない。そこが創作の難しさであり、楽しさだと思います。
そして、こういう描写があるシーンは強烈に読み手の記憶に残ります。さらに、そういうシーンが絡み合うことで大きなうねりを生み、それが物語を牽引していくわけです。
読み手の記憶に残るのは決してストーリーだけではなく、印象的なシーンのひとつひとつであるということ。もっと言えば、より長く記憶に残るのはシーンであって、ストーリーではありません。