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1991年ソ連旅行(7)

 長春は瀋陽と比べて一段と寒く、埃っぽい風が吹いていました。そんな風雲急を告げる(なんのこっちゃ)長春から、国際列車に乗るために一旦北京へ戻ります。今回は二等座席車(硬座)を利用します。北京まで約15時間ほどだったか、一般的に硬座での移動はつらいものと聞きますが、一晩だけなのでまあ死ぬことはないでしょう。

 硬座の席は2人掛けと3人掛けの向かい合わせボックスシートで、私の席は3人掛けの通路側です。実際に座ってみて感じたことは、日本の鉄道のボックスシートが実に快適なものであるということです。日本のように腰の部分が三角形になっていれば快適にもたれることができるのが、中国では背もたれと椅子が逆Tの字となっています。腰の部分が何か足りない。これだけの違いで居住性に大きな差が出ます。それでも席があるだけましです。しかも長春を出発した時点では結構空席がありました。中国の列車では珍しいことですが、それは瀋陽までのことでした。

 中国の列車の切符はほとんどがその列車の始発駅に割り当てられ、途中駅から乗る場合は、あらゆるコネを総動員して数少ない割り当て切符を入手か、「無座」(文字どおりの意味。自由席とはニュアンスが違う)の切符で硬座車に乗り込み、車掌長と話をつけて座席変更を行うのが、私の知る限りの仕組みですが、この列車の場合は途中の瀋陽にも相当数の割り当てがあるようで、ここで車内は満員になりました。私は中途半端な眠気の中で席が埋まっていくのを眺めていました。ところがしばらくすると私の真後ろのボックス席で、何が原因なのかはわかりませんが、二人の男が殴り合いのけんかをおっぱじめました。車内のヒマな乗客は一斉に注目です。瀋陽コロシアムの出来上がりです。ボムとかズバウングとかいった音がするたびに観客、もとい乗客はおおっと声を上げます。しかしながらバトルとしては一方的だったようで勝負はすぐについてしまいました。どえらいところに紛れ込んでしまった。

 こうしてなかなか眠れない中を列車は北京に向かって走り続けます。外が明るくなったころには車内の通路も乗客で埋まります。そして昼前に北京駅に到着しました。北京では2泊しますが、国際列車に乗る前日だけは、旅行会社が手配したホテルに泊まります(泊まらされます)。ですので今日だけは自分で宿を確保しなければなりません。ただすでに目星はつけていて、北京のバックパッカーの聖地である、北京南駅周辺にある僑園飯店を目指します。なお細かいことを言うようですが、私はツーリストであってバックパッカーではありません。その違いはなんだって?知らん。

 駅前から地下鉄に乗り、前門駅で下車して北京南駅行きのバスに乗り込みます。ここまではスイスイと行きましたが、南駅から僑園飯店の姿が見えません。うろうろしていると荷台を人が乗れるように改造した自転車を引くおじいさんが私に声をかけてやってきましたので、飯店までと筆談で告げると「5元」とのこと。ちと高いとは思いましたが眠たかったのでよく考えもせずOKしました。そしたら本当にすぐ近くに飯店はありました。これだから中国は!。

 飯店のレセプションに向かいます。「メイヨー(空きなんかねえよ)!」と言われないようにと祈りながら中に入ると、これまた目の周辺のアイシャドウがパンダのような中国美女が数名暇そうにだべっていました。すみません、泊まりたいんですがと英語で告げると、幸い追い返されずにチェックインできました。ところがいざ割り当てられた部屋に行こうとするとなんか違います。自分の部屋が見つからない。それでも「ここかな」と思う部屋があったのでドアノブを回すと鍵はかかっていませんでした。あ、まずいかなと思いはしましたが中を見渡すと女性がベッドで眠っていました。あ、こりゃ本当にまずいと思ったらちょうどその女性が起きだして、私を部屋から追い出しました。ああ焦った、あやうく「超級変態」として国外退去されるところでした。で、レセプションに戻って部屋がわからんと訴えると、なぜか私に渡しそびれた紙があったのか、その紙をバン!と机にたたきつけられて追っ払われました。どごえー(三河弁:すげぇ怖い)!最終的には割り当てられた部屋に入ることができました。前夜はほとんど眠っていなかったのでしばらくの間昼寝。

 夕方になり、腹が減ったので何か食べようと飯店周辺を歩いていると、とある民営食堂に見知った顔が。よく見ると国際フェリーで一緒だった日本人男性4名のうちの3名と、切符の件でお世話になった華僑さんでした。天津駅での離脱がちょっと気まずい気もしましたが、それ以上に偶然ここで会えたのがうれしかったです。ここで涮羊肉(ヒツジのしゃぶしゃぶ)を食べるとのことなので、私も参加させてもらいました。この場にいない残りの1名は、私の乗る予定のものとは別の、モンゴル経由のソ連行き国際列車にすでに乗っていきました。次は自分の番です。ところで後日彼から絵葉書が家に届き、天津ではあれから私をみんなで探していたとのこと。やはり申し訳ないことをしました。そんなこと!より涮羊肉ですが、天津の狗不理で学習した我々は5人で3人前を注文したら、たくさんの羊肉が大皿に載せられて感動させられましたが、実はこれは一人前、あと同じ大皿が二つやってきて「参りました」となりました。そのあと私はおなかを下しホテルの自分の部屋のトイレへ駆け込み「参りました」。


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