1991年ソ連旅行(5)
前日は瀋陽の街を歩き回って軽く風邪をひいてしまったようですが、一晩寝てしっかり養生したおかげで元気になりました。今日は移動日で、まずは瀋陽北駅に移動します。今回乗る列車は、瀋陽北始発のハルビン行き昼行急行列車です。切符は途中の長春までの軟座(一等座席車)です。中国の長距離列車は大抵寝台付きですが、この列車は座席のみです。
中華人民共和国というのは人民はみな平等ということになっていると思っていましたが、どうやらそれは思い違いのようで、一等車を利用する人には専用の待合室が提供されています。日本の鉄道にはそんなブツはないのに。これこそが真の社会主義だ!人がほとんどいないソファでゆっくりと出発を待つなんて随分優雅な時間でしたが、出発の時刻が近づいてくるとなぜか待合室は人民解放軍の幹部とその取り巻きで溢れかえり、たちまち小日本人の私にとって思いっきり居心地の悪い空間となり果てました。
客車は20両近くあったのですが、私の軟座の切符にはなぜか車両番号はなく、座席番号しかありません。どの車両に乗ればいいのかわからずしばらくホームをうろうろしていましたが、そのうち軟座車が1両しかないことに気付きました。日本ではちょっとあり得ないです。軟座車の車内は、ソファとまでは言えないまでも文字通り柔らかいシートがボックス席で並んでいます。余談ですが、どうやら軟座車というのは随分レアなものらしく、実際の軟座車は軟臥車を代用にあてがっているケースが多いようです。それはちょっとイヤだ。
車内は軍人の姿が目立ちます。一体どこへ何しにいくんだろう。で、私の席もそんな人たちに囲まれており、そのうちに「あっちの席に代わってくれ(実は「小日本はあっちへ行け」というような命令口調だったかもしれませんが)」と言われておとなしく席を移動したら、そこでもまた同じことを言われ、自分の席がなくなってしまうのではと心配し出したところ、幸いごく普通の中国人のボックスに落ち着くことができました。まったくもう。
長春を降りたら、駅前にある春誼賓館に向かいました。ここは旧満州国時代は「ヤマトホテル」と言われた由緒あるホテルで、長春では初めからここに泊まろうと決めていました。予約は入れていませんでした(というか予約を入れる方法がない)が、あっさりチェックインできました。なんとここのレセプションにも日本語ができる係員がいたのです。なんかすごいぞ東北地方。そして、このホテルにはレストランにも日本語ができる人がいるのでぜひ利用してみてと言われたので、館内を少々見学したのち、それではと行ってみました。
館内はあまりヤマトホテルの面影を残していないとのことでしたが、それでもクラシックな雰囲気は多少あり、レストランもそんな感じでした。ただし当初の話とは違って日本語のできる方はいなく、料理をどうオーダーすればよいかわからなくて立往生してしまいました。そんな様子を察した係員は気を利かして適当に料理を持ってきてくれました。こういう場での一人飯というのは、小心者の私にとってあまり居心地のいいものでなく、味は悪くなかったと思いますがよく味わって食べる心の余裕はありませんでした。今日はこれまで。