十日市場から東桂へ、湧水歩行もたもたと

画像1 彼女の下宿は、駐車場になっていました。ちゃんとまわりは昔のままで、建物だけがなかった。あれから四十年以上経過して、私はふたたびのこのこやってきたんでした。彼女はいません。ウチにいるはずでした。
画像2 学校は立っていました。本部棟も四十年以上経過している。まわりにいくつか新しい建物はあるけど、もっと敷地内に木でも植えて欲しいな。管理は面倒なんだけど、木の下で学生たちにおしゃべりさせてあげたい。
画像3 講演会のチラシがいくつも貼られています。何だか、いかにして世の中に出るか、みたいなのがテーマでしょうか。確かにそれは大事なんだけど、無手勝流の人の話を聞いてもらいたい。でも、誰がいるだろう? いないかもしれないな。
画像4 全く変わってない廊下。すぐ端っこまでたどり着けるでしょう。もっと広い廊下だったらうれしいけど、それは建て替えになるし、昔のまんまでいいな。壁も無表情で、それはそれでいいね。みんなラクガキしないよね。
画像5 電車で学校に通った時の田んぼの中の道は封鎖されていました。向こうに見えるのは三つ峠、富士山は見えないけど、かわりにずっと見えてたみたいです。
画像6 ここは水の町でもありました。いろんな流れの水があって、みんな合わさって神奈川の方に流れていくなんて、イメージ湧かないけど、そうなっているらしい。
画像7 鉄橋を富士急が過ぎていきます。橋を渡るとすぐに駅になります。ものすごく昔、オバケの出る時間にこの鉄橋を歩いたことがあります。よくもまあ、落ちなかったですね。バカなことをしたものでした。酔っぱらってたのに!
画像8 坂道の上が駅でした。何にもないけど、電車の時間を確認するために駅まで行ってみましょうか。たぶん、ここの標高は500mくらいはあったと思います。
画像9 駅に到着。三つ峠がほんの少し近くなりました。あそこに登ったのはたったの一回だけ。写真も撮らなかった。
画像10 湧水群をめざして、次の東桂まで歩くことにしました。昔、一度だけ、国道の反対側を歩いたことがありました。もっと何度も歩けばよかったのにね。
画像11 農地の中の巨岩、たぶん、ごろごろ転がってきた溶岩なんでしょう。いつごろの噴火なんだろう。そういうことを教えてくれる人がいればねえ。
画像12 水の恵みの湧水群って、そういう観光の仕方がありますね。どうしてここに外国人旅行者はいないのだろう。富士山が見えたらいいだけなのかなあ。
画像13 道に迷いながら、やっと太郎次郎の滝にたどり着きました。川は水にえぐられて、生活地域からかなり低いところまで降りなければなりませんでした。そして、そうなると、壁になっている溶岩層のあちらこちらから水が少しずつ出ていました。まるで都留市の白糸の滝だったのです。そんなことも知らないで、静岡側の白糸の滝までわざわざバスで行ったけれど、あそこと同じ形で、岩壁から水が流れ落ちていました。これが相模湾まで行くなんて、すごいことでした。
画像14 太郎次郎の滝、というのは悲しい伝説があって、盗賊の太郎と次郎が追いかけられ、飛び込んだところという伝説のある土地でした。そして、この川は三つ峠から流れていますが、河口湖で落とした柄杓が、三つ峠を通り越して、ここまで流れてきたので柄杓流川という名前だそうで、地名のいわれは、少しミステリアスです。
画像15 お嬢さん二人を連れてきた若いお父さんがいました。おもしろいと思ってもらえるのかどうか? ここまでしんどくなかったかなあ?
画像16 うちにも生やしているビワの木、うちのは花もつけてないけど、この木たちは花をつけていました。うしろは高速です。
画像17 東桂駅から三つ峠、近くなったはずだけど、ほんの一時間程度モタモタ歩いただけだから、ちっとも近づかないね。とりあえず、電車に乗って河口湖に行くことにしました。そのあと地獄の電車旅が待っていましたが、知る由もなかったのです。