森銑三 「一つの書物が読むに足るものであるかどうかは

「一つの書物が読むに足るものであるかどうかは、具眼者ならば、その書を瞥見しただけでも判別せられるべきである。著者の誠実な心から生れた書物ならば、その書物の隅々までも、注意が行届いているはずである。読者に対して、親切に出来ているはずである。年には念が入れられ、その書物の完成に要すべきだけの時日が、十分に費されて出来たものならば、その行文にも落着きがあるべきである。打込んで執筆せられたものならば、それだけ読者を引きずって行く力が文章にあるべきである。文章の巧拙は半ば天賦の問題であって、何人にも巧妙な表現は望まれないかも知れぬが、いわゆる巧妙な文章にも、感じのよくないものがある。巧妙ならざる文章にも、感じの決して悪くないものがある。私等は文章の巧拙よりも、それ以上に私などの心に訴えてくるものを問題としたい。感じのよい文章はやはり感じのよい人でなくては書かれない。それは文章の技巧以上の問題となって来る。そしてその著者の人柄は、その著者の文章の上に最もよく反映しているであろう。私等はその巧妙の目立ちすぎる文章よりも、むしろ素直で自然で、癖のない、そしていわんと欲するところを過不足なく表現している、了解しやすい、見飽きのしない文章を取りたい。そうした文章にしてなおかつ簡浄で、辞句が洗練せられていて、響が高く、芸術的な香気があり、潤いがあり、気品があり、読者をして襟を正さしむべきものがあるならば、その著者は世にも獲がたい人といわれようし、その著書は広く推称するに足るものということが出来よう。しかしさような文章の書かれる著述家が、いつの時代にも決してそう多数に存するものではない。それだけにまたそれらの著述家の著書は尊重せらるべきであるが、よしその最上級までに到らずとも、そうしたよさを幾分なりとも有する書物ならば、私等はなおかつこれを重んじたい。そしてその著者にして、なお年歯(ねんし)が若くて、将来のある人ならば、一層の大成を期待すべきであろうと思う。」


森銑三 「良書の識別」

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