内田樹・中田考「国家と一神教」 英語教育

ずいぶんいろいろな話になりましたけれど、少し原点に戻しまして、領域国民国家は是か非かって話なのですけど、中田先生は「領域国民国家に死を」というご意見なんですね。

いかにも。

僕はちょっと立場が違うんです。国民国家というのはたかだか一個の歴史的構造物ですから、うまく機能する場合もあるし、ネガティヴに機能する場合もある。ですから、他の政治的装置を同じように、引き出せる限りのメリットは引き出し、抑制すべきマイナス面は抑制するという是々非々で行くのが現実的なんじゃないかって思うんです。さっきも言いましたけど、イスラーム圏では領域国民国家は解体したほうがいいように見えます。最近になって強権的な手法で作られた政治制度ですから、住民たちのエートスとなじんでいない。もう少しやりようがあると思うんです。エジプトとシリアの「アラブ連邦共和国」とか、そう言う領域的ではない統治システムの可能性もイスラーム圏でなら考えられるのだろうなと思います。日本人には絶対理解できないでしょうけれど。でも、東アジアの諸国、特に中国やインドや韓国や日本では国民国家というのは、ある程度までは「受肉」した政治幻想だと思うんです。

ええ。

というのは、たとえばもし日本に猛烈なグローバル化がすすんだらどうなるでしょう。英語ができて、海外の大学で学位をとっていて、世界中に友人知人がいて、国際的なビジネスネットワークを持っている人、「機動性の高い」人たちが社会の上層部を形成するようになる。こういう人たちは別に海外で生活していても特段の不自由がない。日本の伝統文化にも、食文化にも、宗教にも、言語にも、特段の愛着がない。極端に言えば、日本という国がなくなっても、日本語話者がいなくなっても、日本の伝統文化が消えても、それでとくに困るわけではない。そういう人たちが今の日本では国政の舵取り役をしている。その一方で、日本の自然の中でしか暮らせない、日本語しか話せない。日本食しか食えない、日本の伝統的な宗教や芸能に触れていないと生きた心地がしないという「機動性の低い」人たちは社会の下層に格付けされる。

二極分化する。

ええ、それって日本の場合、危機的状況だと思うのです。国民国家に帰属感を持っていない人たちが権力や財貨や文化資本を独占している。けれども、そういう人たちは先ほどの租税回避する超富裕層を同じで、彼らにそういうアドバンテージを提供している当のシステムに対しては責任を取る気がない。

最悪ですね。

そういう人たちは、これからの時代は子供に英語で教育しなければいけないというので、もう中等教育から子供をどんどん海外の学校に出しているんです。その一方で、今教育現場では英語教育を充実しろという文科省からの圧力がすさまじい。授業は英語でやれとか、この学校は英語の授業の割合が少ないから補助金を減らすとか。でも、日本の学校でちょこちょこやったぐらいじゃ、英語なんかうまくならないんですよ。だから、出世しようと思ったら英語ができなくちゃ話にならないということになったら、富裕層が「じゃあ日本の学校に行かせるのはやめよう」という結論に飛びつくのは、彼らにしたら極めて合理的な判断なんです。だから、日本の政治家も官僚もビジネスマンも、上の方に行けば行くほど子供の海外留学比率が高くなる。でも、変な話でしょう?日本の教育行政の政策決定をしている人間たちがわが子だけは日本で教育を受けさせたくないと思っている。そういう人間に日本の学校教育についてあれこれ口出ししてほしくないんですよ。
たしかに、日本の英語教育はダメなんです。でもね、それは教育目的が「卑しい」からなんです。英語ができないと「金にならない」という発想そのものが子供たちの学習意欲を根本的なところで腐らせている。そのことに誰も気づいていない。だって企業が求める「グローバル人材」って要するに企業の収益を増やす人材のことですからね。

ユニクロとか企業もそうですね。社内公用語を英語にせよと。

あれはそうすると「金が儲かる」というだけの理由なんです。社内公用語を英語にするとアジアの若い求職者たちを集められる。一ポストあたりの求職者が増えれば増えるほど、企業はより能力の高い人材をより安い賃金で雇用できる。これだけのことなんです。
でも、そうやって機動性とか英語力とかを指標にして階層の二極分化がどんどん進んでいる。このままいくと日本も当てられないことになるのじゃないかと僕は不安なんです。でもグローバル化万歳、国民国家解体ということになると、階層を転落してゆく同胞を支援するロジックがなくなってしまうんです。最終的には「同じ日本人じゃないか。そんなに英語運用能力やら機動性やらで差別しないで、あるだけの資源を公平に仲良く分配しようよ」という言い方しか残らないんですよ。その「この列島から出ることのできない、同じ日本人じゃないか」という最後の一線を支えるのが国民国家幻想だと僕は思っているんです。

そうですね。私が否定しているのは、領域国民国家というナショナリズムと法人概念と結びついた特殊な幻想です。地縁、血縁の中隊は時代と地域を越えて普遍的に存在すると思います。特に島国の日本なんかはおっしゃる通りだろうと思うんです。内田先生は、「国境を超える」という言葉で、税金を逃れるために資産を海外に映し世界を飛び回れるような機動性の高い特権階級をまずイメージしておられるように思います。私はイスラーム世界で長く暮らしてきましたので、「国境を超える」という言葉でまず思い浮かべるのは、人災や天災で家と家族を失い故郷を追われ、食べものと生命の安全を求めて着の身着のままで命からがら国境を越えようとして、国境警備隊に阻止されて射殺されたりする難民の姿です。先進国、日本の文脈では、内田先生がおっしゃられるようなグローバリゼーションの悪弊が可視化することが喫緊の課題であるのはよく理解できます。しかし、その反面、日本のグリーバリゼーションについてお話を聞きながら思ったんですけど。

何でしょう。

日本って果たして心配するほどハイパーグローバリゼーションが進かなと。イスラームやユダヤのような人たちはもともとの発祥のところからクロスボーダーですけど、日本の場合、そうではない。

そうか、にわか仕立てのグローバリストだ。

ええ。ですから今日本のエリートが国境を越えて移りつつあるといっても、なんか小さいんですよ。

あー、おっしゃる通りかも知れない。たしかに今子供を海外の学校に入れたりしている人たちって、目的はなにかというと、外国で箔をつけて日本に帰ってきたときにいいポストにつかせようという、ごくドメスティックな考え方ですからね。日本で「グローバル」って看板を背負ってるとすげえと思われるからとか。アメリカの学校で学位取っても、アメリカ人の友達ができても、アメリカ社会でアメリカ人と競争する分には何のアドバンテージにもならないわけですからね。グローバルであることがアドバンテージになるのがドメスティックな局面においてだけである、と。

そうなんです。そういう問題じゃ無いのです。あのですね。そのうち英語なんてグーグル翻訳にまかせとけばいい時代になるのです。凡才が小学校から語学なんか習ったってグーグル翻訳にもかなわないんですよ。なんかはき違えている。

さきほどの武富士の相続人もそうですね。武富士の前会長が千何百億円の株を贈与するために、息子の居住地を香港に移したのですよ。日本在住者でなければ課税の対象になりませんから。そうしたら国税庁がそうはさせるかと言って千何百億円むしりとった。これに対して彼は、いや自分は外国に居住していたから脱税はしていないって裁判を起こして、結局最高裁で彼の方が勝訴したのです。しかも、取られ過ぎていた分の利子が何百億円もついて。でも、そういう生き方を「賢いグローバリスト」として賛美するという流れではないですよね。実際に香港やシンガポールには租税回避してきた大金持ちがたくさんいるわけです。そういう親の遺産を相続して使うだけしかすることがない人たちがごろごろいる。そういう人たちって、香港社会でとくに尊敬されるわけでもないし、高い地位に置かれるわけでもない。こいつから取れるだけむしり取ってやろうという連中が彼らの周りを囲んでちやほやしているんでしょうけれど。

そうそう。

ですから、グローバルっていったい何なのか。本当に真剣に考えた方がいいですよね。日本において日本人が考えている機動性とか国際性とかは、どれもドメスティックな文脈で解釈し直さないと意味を持たないんかもしれないって。取ってつけたような英語教育もそうですよ。それで何の戦いができるのか考えなくては。

おっしゃる通りです。武道的に言ってもそうではないですか。相手の間合いで戦ったら負けてしまう。政治も商売も自分の間合いで戦わないと。

いや、本当にその通りですよ。しっかり身体化された自分の間合いで戦わないと話にならないです。

本物のグローバリストというのはそんなものではないんです。ヨーロッパなどを見ると、上流の人たちは国籍なんか関係ありません。王室の人たちなどはまさにそうで、国籍だとか国境だとかはなきがごとくです。そのレベルに対抗できなきゃ益なしなのです。そう考えると、日本の上流階級って未だに世界では通用しなくて、祖国から出て行けてない感じがしますよ。逆にいえば、日本にいるからこそ上層でいられる。実際国際的に通用する人、あんまりいませんし。だからおっしゃったようなことを心配する必要はないんじゃないかと、私思ったのでした。

世界に出て行っても、いるところがなくて帰ってきちゃう。

あるいは帰ってくるために出て行く。

意味ないなあ・・・・・・。

あらら、イスラームよ目を覚ませ、かつてのようなグローバリストとして越境せよって、主題のはずだったのに、いちばんつまらない狭間に落ち込んでいるのは日本かも知れないという結論になっちゃいました。

ほんと、税金逃れの小金持ちなんかじゃなく、安っぽいバイリンガルとかでもなく、やるんだったら本物のグローバル博士を目ざさないとね。中田先生みたいな。今日は日本、明日はシリア、あさってはインドネシア、しあさってはトルコ。神出鬼没。

いや、アノ、私グローバルじゃなくてホームレスなんです。


内田樹・中田考 「一神教と国家 イスラーム、キリスト教、ユダヤ教」

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