大都会の火葬場
大都会の火葬場に働く人々は、死者とその係累を無駄なく送迎する。応対が軽率であってはならない。情におもねってもならない。過不足のない表情と物腰で、きわめて敏速に事務を片付けて行く。天国へ行く人のためにも、地獄へ行かなければならない人のためにも、またそれを見送る人のためにも、航空会社以上の熟練で事務を処理していく。
もしここの建物内に無駄があるとすれば、最上等、上等、中等と分かれた釜の周囲を装飾して、天国や極楽を思わす彫刻がなされているくらいのものだが、それとても無理にそれらを使用する必要はなかった。簡潔に故人をこの世から去らせたいと願う遺族たちのためには、無装飾の並等という釜も用意されてあった。
遺骸を釜に納めた係累たちが、それから一時間ばかりの間を、付属した茶屋で待つという方法も、よく計算された仕組みである。それ以上速く遺骸が処理されても、それ以上遅く処理されても、生きている人々は不満を感じるに相違ない。無に帰していく故人を偲んだり、生きている自分たちを振り返ったりするには、ちょうど頃合いの暇といってよかった。
永井龍男 「快晴」