古井由吉「槿」 内側は夢遊のように流れても

内側は夢遊のように流れても、外側ではおのずとそれなりの分別に従っている。しかし分別がはたらいても、何ごとでも起りうる。病人のいう節度ではないが、分別も静かさがきわまれば、気が狂うより、狂おわしくなるものだ。自分が消えて、消えたところが白く輝く。透明になり無分別と等しくなる。浴室で息絶えている女を遠くから思うのと、その場でしげしげと眺めるのと、まるで紙一重の差であるような、夢心地の中へ人を引きこむ。何事も起らなくても、そこから出てくるたびにおそらく、人はもうひとつ老いる。老いのついとひとつ進む、時間の淀みというものはありそうだ。


古井由吉 「槿」

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