ヘンリー・ミラー 天気のいい日

天気のいい日、ケガをしているわけでもない、差しさわりのある持病があるわけでもない、風邪もひかず体調はわるくない、むしろ良い。そんなときはただ外を歩いているだけでたのしい。食欲は食べているうちに湧いてくるものである、とある作家がいっていたが、外に出て歩くというのも、歩いているうちに歩いていることそれだけがたのしいと、用もないのに遠くに行ったりなどするようにますます歩きたくなる。このたのしさは、休日に車、バイクでしか移動しない人にはわからないだろう。都内での自転車走行は歩行者には迷惑千万なので、いまでは自転車に乗る側にさえまわりたくないと思う。いつまでわたしはこうやって丈夫な脚力で歩けるのだろう。いつまで遠くまでわたしは歩いていけるのだろう。わたしの脚が許してくれるのだろう。わたしの近所ではある一軒家の解体がはじまって、もういまの段階ではすっかり解体、除去作業は終わって新しいなにかが建てられようとしている。その一軒家にはあるおじいさんがひとり暮らしをしていた。そのじいさんは歩くことそのものが耐えられない苦行のようなおぼつかない足取りで玄関からいつも出てきたのを思い出す。あのじいさんは家を壊してなにかあたらしいものを建てることに賛同してどこかに行ったのか。それともこの世を去ってからのすすめられた計画だったのか。なんにしろわたしはいま歩けるだけ歩いていこうと思う。歩く体感をとともにこの街の変わっていく姿、変わらないままありつづけるものを目に映して生きていこう。
「ぼくは市街がなまあたたかい肉体から取り出されたばかりの心臓ででもあるかのように鼓動しているのを感じることができる」
ヘンリー・ミラー 「北回帰線」

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