ブーアスティン「幻影の時代」観光の戯画化

観光客は戯画化されたものを捜し求めるし、旅行代理店も外国の観光案内機関もすぐにそれを与えてくれる。観光客が正真正銘の外国文化(しばしば理解しがたい)を愛好することは稀である。観光客は、自分の偏狭な期待を満足させたがる。フランス人のシャンソン歌手がフランス語で歌うよりも、フランス語のアクセントを持った英語で歌う方がもっとフランス的な魅力をもっているようにみえる。日本でのアメリカ人観光客は、日本のものよりは、日本風のものを捜し求める。芸者は風変わりな東洋の売春婦にすぎないと信じたがる。芸者がそれ以上のものであると想像することはほとんど不可能に近い。彼は自分が貴重な金を費やしてはるばる日本までやってきたのは、愚弄されるためではないと思う。独自の上演様式を持ち、日本人を長いこと楽しませて来た能・歌舞伎・文楽は、彼を退屈させる。しかし宝塚少女歌劇は理解することができる。それはジーグフェルドやビリー・ローズのショーに倣った日本風のミュージカルで、アメリカと違う点といえば、出演者がみんな女性であるということである。その様式が時代遅れになっている点を、東洋的な雰囲気と勘違いする。日本交通会社発行の案内書でさえも、日本を旅行するアメリカ人の観光客に、欲しいものはかならず見つけることができるだろうと力説した後で、「ストリップ・ショーも芸術的に進歩しつつある」と述べている。また宝塚のミュージカルについても、「ガールズ・オペラとして知られている日本に特有の歌劇」であるとして詳細に説明している。ときどき、ラスベガスで上演されるフォリ・ベルジュールは宝塚のフランス版であるが、どこの国から輸入されたものでも、この種類のショーはアメリカでは興業的に大当たりをする。


D.J.ブーアスティン 「幻影(イメジ)の時代―マスコミが製造する事実」

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