桶谷秀昭「昭和精神史戦後篇」 広田弘毅①

『中国の隠士』からの聯想でいへば、彼は一高の学生時代から『論語』や陽明学や『大乗起信論』が愛読書であり、また福岡の中学修猷館時代から玄洋社の経営する柔道場明道館へ通ひ、一高時代には有段者で選手になってゐる。のちに人から書を求められると、好んで「物来順応」の字を書いたのは、自然体をその武藝の原点とする柔道の習得が一等あづかってゐたといへるかもしれない。

『論語』は外交官時代もそれ以後も、座右の書であつたが、それが英語訳の『論語』だつたといふのは少し奇妙である。彼の幼名は丈太郎であるが、中学卒業時に弘毅と改名した。これが、『論語』の泰伯第八の「士ハ以テ高貴ナラザル可カラズ。任重クシテ道遠シ」に由来してゐるのは、いふまでもない。

『論語』、陽明学、柔道などから身につけた情操と気風は、廣田弘毅において儒者といふよりは老荘の隠者に傾いてゐたらしく思はれる。東洋的神秘主義とニヒリズム。この二つの思想項目で大雑把に概括できるやうな内的なある働きが、A級戦犯時代の廣田弘毅にあつたのではないか。

このことで、いま一つの聯想を語らせてもらへるなら、アイザイア・バアリンの名著『ハリねずみと狐・・・・・・『戦争と平和』の歴史哲学』の中で、トルストイとジョゼフ・ド・メイストルの戦争観、歴史観、人生観を対比して論じてゐる一節である。

・・・・・・会戦と戦争の混沌、統制不可能なことについて、メイストルの見解の間に密接な対応関係がある。それは、人生に一般にたいするより大きな意味、さらには学者的歴史家が人間の暴力と戦争好きに対して行なふ素朴な説明にたいして二人が軽蔑を感じてゐることとともに、フランスの著名は歴史家アルベール・ソレルの注目を惹くことになつた。彼は1888年4月7日にエコール・デ・シアンス・ポリティークで行なはれたあまり知られてゐない講演で、メイストルとトルストイの間に対応関係を設定した。そして。メイストルは神政主義でトルストイは『ニヒリスト』ではあつたが、二人がともに事件の第一原因は人間の意思を無に還元するやうな神秘的なものとみてゐるといつた。ソレルは次のやうに書いた。「神政主義者から神秘論者からニヒリストへの距離は、蝶から幼虫、幼虫からさなぎ、さなぎから蝶への距離よりも小さい。」トルストイは、多くの点でメイストルに似てゐる。彼は、なによりもまづ第一原因をせんさくしようとする。メイストルの「誰一人例外なく、全人類の判断によれば、この世でもつとも名誉あることは無実の血を無実に流す権利であるのはなぜか、説明していただきたい」といふやうな質問を、彼も問ひかける。すべての合理主義的な意思自然主義的な解答を拒否する。(河合秀和訳)

ついでながらアイザイア・バアリンはこの著書の作業仮定の前提に、ギリシャの詩人アルキロコスの詩句、「キツネはたくさんのことを知つてゐるが、ハリねずみはでかいことを一つだけ知つてゐる」を置いて、作家や思想を、ひいては人間一般を大きく二つにわけるもつとも深い差異といふ暗示を読みとつてゐる。

ハリねずみが知つている、たった一つの「でかいこと」といふのは、人間生活における「一定不変で無限抱擁的な内的ヴィジョン」であり、このハリネズミ族に属するものに、プラトン、ルクレティウス、ダンテ、ヘエゲル、ドストエフスキイ、ニイチェ、イプセン、プルウストを挙げてゐる。他方、人生において多くの目的を追求し、それらを「熱狂的な統一的ヴィジョン」にはめ込まうとしない、急進的でなく遠心的な狐族に、ヘロドトス、アリストテレス、シェイクスピア、モンテエニュ、エラスムス、モリエール、ゲエテ、プウシュキン、バルザック、ジョイスを考へてゐる。

この二つの人間累計は、私らが好みや関心において世界文学史、あるいは思想史上の英雄たちの、どちら側に左袒してゐるかをおのづから照らし出し、したがつて私らめいめいがその関心を在り方によって、ハリねずみ族か狐族かがあきらかになるといふ意味で、興味ふかい。

バアリンが対象にしてゐるトルストイは、狐族であるにもかかはらず、みづからはハリねずみであると思ひ込んでゐた。その悲劇的な矛盾の究明が、バアリンの劇的な魅力をもたらしてゐる。

それはともかく、いま、ここで対象にしてゐる廣田弘毅はどちらの人間であるかといへば、疑問の余地なくハリねずみ族である。その一見、消極的に見える世に処する態度は、たつた一つの「でかいこと」を知つてゐるといふ確信に支へられてゐた。それが「みづから計らはぬ」といふ生活信条になつてあらはれた。

それにたいし、東條英機はあきらかに狐族の一人であらう。いろいろなことによく気がつく人間であり、つねにメモ帳を手放さず、他人の発言と自分の思ひつきのくさぐさを記録し、整理し、関聯づける性癖があつたが、それらを人生における「無限抱擁的な内的ヴィジョン」にはめ込むことは関心がなかったやうにみえる。

おそらく廣田弘毅は、「この世でもつとも名誉あることは無実の血を無実に流す権利である」ことを、メエストルのやうに「なぜか」を問ふことなく、深く確信してゐた。このことを老荘思想の語彙をかりていふならば、天にひとしき者は、人の世界では戮民となる。戮民とはこの世で無実によって八つ裂きにされる人間である。

(つづく)


桶谷秀昭 「昭和精神史戦後篇 東條英機と廣田弘毅(下)」

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