【孤独は消せる】
頑張ってきたことを否定したり、なかったことにする。これ以上悲しく悔しいことはありません。
やってきたことは全て無駄だった、これまでの繋がりを全て切ります。やってきたことを無かったことにします。
どうせ無理。そんなものに価値はない。価値はなかった。
辿り着いた答えがそこであることは本当に悲しいこと。
自分を愛せないとか、人を信じられないとか。
そのままのありのままでいいんだけど、殻をつくり、本来のゴールから視線をズラして、我慢して我慢して作った笑顔で過ごす毎日。
裏切られることを恐れて、取り繕った自分で生きないといけなくなってしまう毎日。
本当は救いの手を探しているはずなのに
「僕(私)は幸せになってはいけない。」
こんな言葉が底に聞こえます。
一人ひとりに存在する価値があって、そこに在るだけでだれかを救ってる。「とても大切な存在なのに」です。
自分の心に耳を傾け、自分に正直に生きる。
人はそれぞれ自分以外は全て他人であり、殻にこもればこもるほど、「どうせ僕(私)のことをわかってくれる人なんかいるわけないよ。」と考えてしまう。
また反対に、他人のことには首突っ込むなよという意見もある。
「課題の分離」それは間違いなく気をつけないといけないこと。
でも、誰しも『重要な他者』という存在は必ずいて、その人に何か起こったら自分ごとのように心配になり、心が落ち着かなくなる存在がいるはず。
そんな『重要な他者』の想いを知って泣きながら発する悲鳴を聞いてもなお、他者の課題には介入するなと言うのだろうか。頭で分かってはいても、状況を知っているなら余計に難しい。
他人のことに首突っ込むな。手を引け。そんな人のことは放っておけと、社会も国ももがいているその人自身もそう口にする現実。
でも、その僕(私)のことなんかと言う人があなたにとっての『重要な他者』だったら?
殻に閉じこもった“本当の自分を隠して、心の傷の線を一日一日増やしながら、作り笑いで過ごしている人本人”だったら?
手を引けと言う人からすると結局は『重要な他者』ではないため、簡単にそう口にするし、言いたいことを言います。
警察も弁護士も結局はそう。一見守ってくれそうな人たちであっても、
「じゃあどうやったら守れるの?」と聞くと無言。あとは自分で考えろと、結局は守るところまではしません。
じゃあ誰が味方になるのか。じゃあその人は誰の腕を掴めばいいのか。
助けてほしいその人自身は、本当に信じていいのか不安で不安でガチガチに固めた殻にこもってるし、周りもそこまでのことは知らないし自分にとって重要じゃないから、残念ながら自分のことで手一杯。結局、他人事で誰も守れないし、誰からも守られない。
そんな矛盾との闘い。
世の中に溢れた、社会のアンバランスが生んだ、難解で、でも早期解決しないといけない問題。
他者と関わり合うことで、自分一人では実現できないようなことが実現できるようになる。自分の「利用価値」や「機能性」ではなく、「存在そのもの」を受け止めてくれる他者がいることで、素の自分に戻れる場所がある。ここに気付きたい。
僕は心を開いてくれた人が語る“夢”を聞くと「うわ!めっちゃいいね!絶対それ叶えよう!」と心のエンジンがかかり、それを叶えるモードに入りやすい性格です。
その人の笑顔が見たいがために、夢を叶えた後、一緒にハイタッチできる仲間でいたいから、「いっちょやってやろうぜ」とできることをしたいと動いてしまう癖があります。
人と人を繋いで、そこから生まれる化学反応のそのあたたかさを感じるのが大好きで、その瞬間が見たくて。
たまに、「人のことはいいから自分の夢追いかけろよ」という声をもらうこともありますが、これが本当のしたいことであり生きがいなので、言ってくれてありがたいけど、あまり響かない。
そこには、やりたいことは想いを持って全部やってきたという自負もあるのかもしれない。
もちろん、自身の大きなビジョンやゴールは常に持ち続けているけど、一人で大きなことができるなんて思っていないし、一人で辿り着きたいとも思わない。行くならみんなで行きたいという想いが根本にあります。
大事にしたいのは、過去や未来ではなく「いま、ここ」。
今の自分の存在で何ができるか勝負したい。
でも、この考えがさっきの問題に直面した時、「人のために何かをするという行為は、もしかすると自己満なのかもしれない。」と考えてしまう。
そうなると、果たして自分の動きがいいのか悪いのか分からなくなる。
「生きる」「愛する」「まもる」「共感する」「支援する」これらの答えは複雑すぎて難しい。
本当はみんなこれらが欲しいはずなんだけど、上手くそれが“欲しい”と表現できない。
そして“表現できない”“想いの伝え方が分からないから”と、もがくことでさらに苦しみを生む。そうであるなら「一人でなんとかしよう」という答えを導き出す。
決して幸せではない答えに辿り着く。だから難しい。
小学校の時から、答えがわかる問いばかりを教えられてきたからなのか。
白黒つけず、グレーのまま拠り所を見つけることに時間を割くことができない。
『制限時間内に解答用紙全て埋めなさい。』という教育をされてきた代償。失敗を良しとせず、全てにおいて、“早く白黒つけないといけない”と焦る心を生んでしまう。
その教育が自ら命を絶ったり、人に頼らず一人で生きていくんだという人を育ててしまうんじゃないかなと思う。
『重要な他者』の命、そして悲鳴。これほど、心が締めつけられるワードはこの世の中にない。
「愛する」「生きる」等のこの問いは時に答えが全く見えない。
歴史から学べることと、歴史の知識では全く太刀打ちできないこと。そのどっちか分からない問題が現れるから混乱してしまう。
そんな時に、
「答えは時に見つからないよ。そんな時は一人でジタバタもがく必要はないからね。人のをカンニングしたらいいさ。限りなく白を求めて、探しながら人にどんどん頼ったらいいんだよ。制限時間なんてないから、時間をかけて見つけていけばいいから」と伝えたい。
このような文章を書いているのも、この2ヶ月間いろんなことが重なるタイミングでそんなことを考える時間が多かったんですよね。
「孤独は消せないのか」。2021年の夏に自らに降りかかった課題でした。
消えそうな灯をもう一回つけなおしたい。
話ができれば、対話ができれば、救えるものがあると思う。
「連帯する」「協力する」
自分を含め、身近にいる人ほど大事にできない。その打開策を切り拓きたい。
このハチドリが行っていることは素晴らしい。さらに、そこに森の仲間とも連帯できれば、もっと早くゴールに辿り着くことができるのではないか。
「連帯」「協力」は決して簡単なことではありません。
でも、それができたら「生きる」「愛する」「まもる」「共感する」「支援する」もきっと誰かとできるはず。
人の持つパワーはすごい。一人ひとりのエネルギーが集まった時のパワーはとてつもない強さを生み出します。絶対にここぞの時に力をくれる。そして、見たことのない景色を必ず見せてくれます。
孤独は消せる。
これを伝えたい。
人はそう簡単に見捨てない。少なくともぼくは本当の笑顔でハイタッチするその瞬間が訪れるまでは絶対に見捨てない。
最初は一匹のハチドリかもしれない、そこに伝えあい、支え合い、わかりあい、本当の味方と呼べる人を、ありのままを認めてくれる人と連帯して、近くにいる人にこそ届くような、私たちの世界をもっともっと素敵なものしていきたい。
誰かが始めなければならない。他の人が協力的でないとしても、自分から始めないといけない。そして「私」から「私たち」へ、横の関係を広げ、関わる人に「自分をさらけ出してもらえる」そんな居場所を作り続ける人間でありたい。
人との出会いでいろんなものを考える機会がいただける。
そんな出会いは運命。でもその運命を単なるファンタジーではなく、必然と捉え、その関係を成熟させるための努力と、かける時間とで“本物”であることを証明したい。
この夏、迷って葛藤して、こうして考える時間やいろんな人の所に足を運んで思考・対話する機会を得られたこととてもよかったなと思っています。この気づきがなければ、迷いの沼から抜け出せなかったと思う。
ただ、過ぎた時間は取り戻せないからね。
この先の良い未来を目掛けて“ゆっくり、いそぐ”。
今いる立場を活かして、自分を高め、よりよくなるために変化し続けること。そして、
どんなことがあろうとも、無条件に信じ続ける。
「ここにいていいよ」と両手を広げて待ち伝え続ける。
たとえ理想論、非現実的、綺麗事だと言われても、自分の夢を信じ、未来を切り拓いていこうと思っています。
「いま、ここ」をしっかり生ききることで、明るい未来を迎えにいきたいと思います。
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