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【写真あり】220311震災遺構に行ってきました

佐藤です。2022年3月11日の14時半~16時ぐらいに、震災遺構 仙台市立荒浜小学校にいってきました。今日撮った写真です。ピントも切り抜きも甘いのは、ただ記録用に撮ったからです。すみません。

しょうがっこう

東日本大震災で、津波がきた海岸沿いにあり、2階の床40センチまで海水がきたそうです。4階・屋上に避難したのだとか。

画像10

にかい

海側の2階は、木材や車などがぶつかって、壊れたそうです。

かたむき1

海のそばの家のコンクリートの基礎、礎石などが一部保存されており、震災遺構として、あえて展示されているようです。

くらし

震災がくる前との対比パネルがあります。

こくばん

学校内には、当時の板書がそのまま残っていて、

せんでん

地域の復興の取り組みがあるようです。
(だからこのnoteにも載せました)

ふっこう

15時15分に、校庭から風船を飛ばすイベントが、毎年?行われているらしく、訪問者にも風船を配っていました。

ふうせん

風船が飛んだところを、海沿いの堤防から撮ったもの。風船は小さいので、画像からは認識できませんね。小学校の建物の斜め上に、点々の集まりのように、風船が飛んでいました。背中をむけているのは仏像です。

かんのん

海岸沿いの堤防に立っていると、小柄な女性がすごい勢いで堤防に上り、砂が深くて歩きにくい海岸線を、足早に海のほうに進んでいきました。

「もと」地元のひとが、「久しぶり」「お元気でしたか」と声を掛け合っていて、「今年も春が来ましたね」と続いていました。震災の月日・時間に被災地をおとずれることが、毎年、同じ時期におこなわれる「同窓会」のような位置づけなのでしょう。
今年はあのひとに会わないね、みたいな話もしてました。

ある見学者が、べつの見学者(おそらく互いに面識はない)に、質問?をしてました。質問されたひとが、「私はこの場所になじみがないから」と、話しかけられるのを拒んでいました。被災者のあいだにも、いろいろな距離感があるのでしょう。
もしぼくが話しかけられたら、「旅行者なので」「初めて来たので分かりません」という答え方になります。強めの口調での「なじみがない」という言葉が印象に残りました。

小学校の教室には、避難者の暮らしが保管・展示されていて、それを見ながら、「この毛布はペラペラで寒かった、こっちは暖かかった。新しいのが配られたときは嬉しかった」と話しているひとがいました。
小学校なので、カーテンとか、紅白の幕などがあるので、それも防寒につかっていたそうです。

15時45分から、小学校の教室で、今日のために作った動画の上映がある、とのこと。上映前に企画者が、「この地区の被災者も、一枚岩ではないから、このように映像を作ることに対して、複雑な思いのかたもいらっしゃいます」と言ってました。

上に書いたように、風船をみんなで飛ばすというのが定例のようで、道行くひとはみんな風船を持ってました。
ぼくはまったく部外者です。(手を伸ばせば、受け取れたのでしょうが)風船を受け取ることはできませんでした。どんな気持ちで風船を飛ばせばいいのか、分からなかったからです。
じゃまにならないように、無言で見学して去る。それがベストだと思いました。あんまり現金を持ち歩く習慣がないので少額ですが、せめてもの罪滅ぼしのような気持ちで、手持ちギリギリまで募金して去りました。居心地が悪い、居たたまれない、みたいな気持ちになりました。

無題

今日の移動記録。25キロメートルの徒歩でした。

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