人生のどん底は5年前(2019年夏)の上野公園
佐藤ひろおです。早稲田の大学院生(三国志の研究)と、週4勤務の正社員(メーカー系の経理職)を兼ねていました。いまは有給休暇の消化中です。8月下旬に退職します。
ぼくにとっての人生のどん底は、5年前の夏でした。
2019年の夏です。象徴的なできごとは、東京の上野公園です。
暑い季節、なにか用事があって上野公園に行くたびに、「2019年のあの夏から〇年が経ったのか」と振り返ります。
2019年の夏に、上野公園で何があったのか?
東京国立博物館、特別展「三国志」です。
三国志の催し物があったのね。楽しそうでいいじゃん、
ということですし、それでいいと思うんですけどね、連動して雑誌で特集が組まれ、一過性のブームが来ました。
雑誌『ユリイカ』の表紙に名前が並んでいるのは、芸能的におもしろそうなひと、出版界で注目されるひと、学術界で注目されるひとです。その他、表紙には名前が出ていませんが、一般の三国志ファンとか、当時の大学院生の原稿とかも載ってました。
『ユリイカ』を通勤電車(名鉄豊田線)で読みながら、雑誌の後ろの方に、知り合いの名前がいくつも並んでいるのを見て、思ったんです。「ぼくには原稿の依頼がきてないな」と。
当時のぼくは、会社員でありながら、論文を書いたり、同人誌(小説、三国志の調べ物のノウハウ本)を書いてそこそこ売ったり、2007年から三国志のホームページを作って百万単位の閲覧数を稼いだりしていました。オフラインの研究会を主催したり、学会イベントで講演したりで、「名物アマチュア」みたいなポジションだと自認していました。しかし、『ユリイカ』の編集部の目にはとまらなかったんですね。
それが純粋に、「がーーーん」って感じでした。通勤電車のなかで、さすがに泣きはしませんでしたが、泣きたい気持ちでした。自分は何をやってるんだ?という気持ちでした。
自分は、芸能人じゃないし(そこは最初から違うので悔しくない)、30代半ばだけど出版物の著者ではないし(出版の希望を持ったことはあったが、それに向けた本格的な努力はしていない)、学者でもない(妙に詳しくて活動的なアマチュアではあるが)。
「いろいろやってるけど、何者でもない」
みたいな中途半端なポジションであることを突きつけられて、心が折れたんです。器用貧乏というか、ただの貧乏?(金銭的な意味ではなく)
当時ぼくのことを「三国志に詳しい人、すごいひと」として慕ってくれているひとがいました。三国志レベルに序列があるとしたら、ぼくのほうが上位のはずです。でもそのひとが、「上野のチケットが知人から回ってきたので、よかったらあげます」って言ってくれて。
ぼくは感謝しつつ、「関係者向けのチケットすら回ってこないほど、自分は何者でもないのか」と打ちひしがれました。
チケット代が惜しいのではないです。どこにも繋がっていない、日本の三国志の世界?で、ポジションがない。「いろいろやってて、なんかすごいけど、何をやるひとだか分からない」やつ。
一時的に三国志関連の需要が高まって、「何かありそう」なひとに、片っ端から声が掛かったと思うんですけど、自分は完全にスルーされました。
上野公園の三国志の展示は、もちろん行きました。でも、あんまり楽しめなかったんです。その他大勢、観客の一人でしかないんだな、という自己認識で、腐ってしまったんですね。当時36歳です。
名古屋から泊まりで行きました。夜は、博物館の閉館後の上野公園で、ひとりで泥酔してました。いまはどうだか分かりませんけど、コロナ前は、若者が深夜まではしゃいでたんです。自分はもう若者じゃないけど、どっち方面に悩むべきかも分からないまま、自滅的に酔うには最適な環境でした。お祭りの後のノリというか。
日付もまたぎ、ほぼ人通りがなくなったので、不忍池に張り出したデッキのようなところで仰向けに倒れて空を見てたら、足音と話し声がしました。踏まれたら痛いので起き上がると、「ぎゃああ」と驚かれました。
本当に恥でしかない体験。名鉄豊田線で自宅と会社を往復しているだけ、熱心にネットに書き込みをするだけの会社員の、ザ・自意識過剰です。親しい知人に語ったことはありますが、いまこうしてnoteに書けるぐらいには、体験の「供養」が進んできたのでしょう。
上野の展示の翌年に、コロナ禍がきました。ぼくは会社に行くのを辞め、大学院に出席を始めました。早稲田大学で、三国志の研究を習うことになります。「無冠の帝王」みたいに言って頂いても、やっぱり独学には限界があるし、一人の活動にも限界があります。
「何のひとなの?何が強いの?何ができるの?」
これって、1人じゃ定まらないんですよね。
いまも苦労ばかりですけど、早稲田大学という所属先を手に入れ、修士号を取得して「博士課程」の学生となり(学割も使えて)、三国志学会の論文雑誌の編集、事務全般(会員名簿管理、入出金管理)をやりながら学会の評議員という肩書きをいただき、三国志関連のお仕事をするチャンスを頂けるようになってきました。
でも、いまだに5年前の『ユリイカ』を読み返すことはできません。悔しいので。「負」の思い出の品として、ずっと捨てないと思います。