独学者と研究者のあいだ/自分で自分の存在価値を裏づける
佐藤ひろおです。会社を休んで三国志の研究をしています。
アイデンティティを確立するのは大変だな、独学者と研究者のあいだにあって、ウロウロしてしんどいな、という記事です。 #ここが結論
大学を卒業してから、約15年間、会社員をしていました。
卒業後、すぐに大学院に進学し、研究をしてきたひとに比べると、15年の回り道をしている。15年、遅れをとっているという捉え方もできます。
学校の勉強では、1年離れるだけでも、全然違ったじゃないですか。中学校や高校のときを、思い起こしてください。1年上の学年の教科書なんて、ぜんぜん読めなかったですよね。それの15倍って(笑)
いやいや、待ってくださいよ。「詰め込まれ」式の教育の1年と、自主的に研究をする段階の1年は、質的に違います。年数によって、それほど機械的に差が付きませんって。
と言われそう。それは分かってます。
いやいや、やめてくださいよ、15年の遅れがあるといっても、社会人としての経験とキャリア、人脈、お金とお金を稼ぐためのノウハウがあるでしょう?と問われれば、こう答えます。
「あります」と。
しかし、「だから何だよ」と思わないでもない。たとえば、コンビニに、寛永通宝をふりかざして、これで払います!と言っても、仕方ないです。寛永通宝どころか、ドル紙幣だって同じです。
わかってるんですよ(笑)
研究ひとすじの人と、張り合う必要はない。また、会社員ひとすじの人と、張り合う必要もない。
「単線的な人生をやめた。あらゆる能力やキャリアを単一尺度で評価できるところから、積極的に降りた」ことが、ぼくの立ち位置であり、価値であると思うんです。
分かっています。若いころのように、心底、落ち込んだりはしない。
20代半ばで、ひとまわり下の大学院生は、みんな先輩です。かれらに向けて、「ぼくには、15年の社会人経験があるけんのぅ」とか、なぞのプライドを見せつけるのは、メリットが1ミリもない。
謙虚に学びたいと思ってます。じっさいに、皆さんのほうが学識があるので、「謙虚に」と心掛けなくても、おのれの無学さが恐くて、控えめになるので、それでいいですけど。
※ ここが会社つとめのときと、違いますね(笑)
だれかが作ってくれた評価基準、(いい意味での)レールから外れると、自分の価値を保証してくれるのは、自分だけなんですよね。
「だれかが敷いたレール」って、身動きが取れなくて、悪いものの代名詞ですけど、それはそれで、こういうモヤモヤを免れていました。
ぼくは、4年くらい前に、
『三国志独学ガイド―正史三国志のつぎに読む本―』
ってのを作って、けっこう好評で、おそらくもっとも部数が出ています。単価が3000円ですが、300冊ぐらい売れてます。さみだれ式に、重版をかけているので、正確には把握してませんが。
これを書いたときは、完全なる独学者。大学のそとから、いかにして、研究に接近するか、ということを書いた本なんです。
いま、大学院の授業にも出られるようになって、どちらも経験しているわけですけど、そうすると、だれに対して、なにを伝えたいか、なにを伝えたら喜んでもらえそうか。かなり、でかいテーマです。
当面の感じ方を正直に書くと、研究のキャッチアップが忙しくて、不安感と不全感、無能感が大きくて、なにか、ものを言うことはできないな、と思ってます。
まだ、書き始めてないです、『三国志独学ガイド2』は。
「ただの」研究者になってはならない
ある知人が、社会人を3年やって、大学院に進学しました。事前に、「一般の中国史ファンと、研究者とを繋ぐ」という役割を自任していましたが、現在では、ただの研究者(博士課程の院生)になってしまったそうです。
ただの研究者、と言いましたが、それはそれで十分に立派なんですけど、当初のスローガンは、どこにいったのかと。
ここで、社会人の先輩(老害)と言わしていただくと、
「たった3年なんて、経験したうちに入らない。ようやく研修が終わって、会社に利益をもたらせるように、なるか・ならないかの段階じゃないですか。はーん」てな感じです。
たった3年の遅れ、回り道ならば、純粋な寄り道(失敗)として圧縮し、ナカッタコトにしたほうが、合理的です。
その点、ぼくの場合は、15年ですから。
ただの研究者を目指すのは、現実問題として不利であるし、3年でなく、15年の経験があればこそ、言えること、やれることを見つけていくのが得策だろうなと思います。
べつに、15年間だって、そんなに悪いものじゃなかったですからね。ただ少し、飽きちゃっただけです。
両方のことが分かる、橋渡しになる、境界線上にいる、ハイブリッドなキャリアというのは、一般的に、強みになり得るものであり、
その通りなんですけど、自分で、価値を定義するという、しんどさもまた、並大抵じゃなさそうです。
研究に必要な本を読む時間を割いてでも、会社員のときと同様、経理とか経済の本は、読むようにしています。さもなくば、15年が、ただのムダってことになってしまいますから。
時間泥棒な職場や作業から解放されたことは嬉しいですけど、経理や経済が、嫌いになったわけじゃないです。興味は続いてます。
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