現実生活に使える「兵法」思考/フェアに戦ってはいけない/孔明のワナの意味
佐藤ひろおです。会社を休んで三国志の研究をしています。
noteでは三国志の話をしない、と決めているんですが、ビジネス書などにありがちな「比喩」としての三国志ならアリかなと……。個別の知識がなくても読めるように、固有名詞などは最小限にします。
三国志でいちばん?人気があるのは、少数の兵力を率いる「諸葛亮孔明」が、圧倒的な国力をほこる「曹操」たちと戦うところ。
これまたビジネス書の常連ですけど、「孫子の兵法」ってありますよね。なかで言われていることは、自分より強い相手と、同じ条件で戦ってはいけません、ということ。 #ここが結論
フェアプレーは愚者向けフィクション
学校やテレビで目にするスポーツだと、相手との条件を揃えて戦うことが多いですよね。しかし、同じ条件で戦わせてもらえるのは、非現実的なゲームだから。フィクションですよ。試験管のなかの実験ですよ。スポーツの試合みたいなものを、典型的な「戦い」のモデル、闘争の基本形だと思うから、日々しんどいんですね。
もしくは、奴隷を努力に駆り立てるための、洗脳ですね(笑)
サッカーなら、自分チームのゴールの手前にバリケードや落とし穴があるときだけ、試合をする。相手チームのバスが遅延して、選手が到着する前に、こちらはフルメンバーの11人で攻める。ボールをいつの間にか2つに増やして、相手を眩惑する。
ボクシングならば、相手が風邪を引いたときや、連戦で傷だらけのときだけ、試合を受ける。体重計測にミスがあり、自分が相手より30キロ重いときだけ、試合を受ける。
将棋ならば、相手が気づかないうちに「飛車角」を番外に振り落として、マジシャンのように相手のコマを移動させて不利に追い込むべき。
サッカーもボクシングも将棋も、こんな状況で試合はさせてもらえないが、現実生活は、わりと「アンフェア」な状況で、戦わせてもらえることがある。「フェア」な戦いを回避できる場合がある。
諸葛亮孔明も、「孔明のワナ」という流行語?があるように、かれのやり口は、ルールをズラして相手の土俵で戦わなくていいように済ませ、相手が想定している前提をはぐらかし、勝利しているんです。実際は、あんまり勝利できていませんが、大敗は回避しているんです。
現実生活に活用する兵法的思考
真正面から、同じ条件で命を賭けて疲弊するのは、美談ではありましょう。しかしクレバーではない。
そもそも、ちゃんと努力している同士ならば、人間の能力に、何倍もの差がつくことはありません。級友や同僚と比べて、せいぜい5%ほど優位性があれば、学校や会社のなかで、エースだきら星だといって、持てはやされるでしょう。
たった5%ていどの実力差しかないから、運とかコンディションで結果が覆ることがある。その「確率のゆれ」「くつがえり」に賭けることが、美談っぽくなってますが、それは、スポーツの見過ぎです(笑)ぼくたちは、勝つために、少なくとも負けないために生きているのであって、「感動をありがとう」と無責任に感謝されるために、生きているのではありません。
「あ、オレいま、フェアに勝負してるな」と思ったら、燃え上がってはいけない。さっさと避けましょう。コンプラ違反にならない範囲で、条件を操作できないか、対等もしくは悪条件での「がんばり」を回避できないか考える。それが最優先なんです。
だって現代、程度の差こそあれ、だれもが、「忙しすぎて寝不足」で「年々体力と集中力が衰えて、元気がない」でしょうから。
兵法の話は、ある記事の伏線、準備だったんですけど、キリがいいので、ここで一回、記事を放流しちゃいます。
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