「学歴ロンダリング」肯定派/よその大学院に行こう
佐藤ひろおです。会社を休んで早稲田の大学院生をしています。
三国志の研究を学んでいます。
「学歴ロンダリング」という言葉があります。俗語、スラングというよりは、もはや大学院生のあいだでは市民権を得た、正式な用語という気がします。日本語にしたら、「学歴を洗浄すること」でしょうか。
おそらく、マイナスの意味で使われている言葉です。たとえば、高校生が大学受験をして東京大学に入ることは(浪人を経ても)むずかしい。しかし、東京大学の大学院に入ることは、それよりは簡単だ。
あまり知名度のない大学の出身でも、「大学院から東大に入る」ことにより、最終学歴が東京大学となり、学歴の洗浄が完了、という寸法。
これ、知名度の高い大学に、学部時代から(大学受験から)所属して、ストレートに大学院に進学したひとからは、苦々しく見られます。
残念なお知らせをしますと、大学院生になっても、知性の基礎ポイントみたいなものは、大学(学部)で測定する、みたいな暗黙の了解があります。個人的な感じ方ですが、恐らくそう。
ですから、厳密な意味で、同業者のなか・ムラ社会のなかでは、学歴ロンダリングはつねに失敗します。「あのひとは、学部はどこだよね」と、かならず見透かされるので。
ここまでは、ぼくの現状認識ですが、じゃあ、学歴ロンダリングはやるべきではないのか??というと、ぼくは、大学院から別の学校に移る、もしくは、博士課程から別の学校に移ることには、肯定的です。
なぜか。
大学や大学院に属すると、人間関係や環境をリセット(しないまでも変更)するチャンスが、劇的に少ないからです。学歴ロンダリング(と呼ばれる、あまり褒められることのない行為)は、人間関係や環境を変更できる、数少ないチャンスです。これをうまく使うことが、とても大切だと思う。
勤めびとの場合、転職できたり、一定規模の勤め先ならば、異動・転勤によって、人間関係や環境をリセットできます。「さまざまな職、さまざまな事業所を転々とし……」というと、ミジメったらしい感じがしますが、これって、生存戦略というか、リスクヘッジとして、たいへん優秀だと思っています。もっとポジティブな捉え方をして、出会いや挑戦のチャンスも、転職・異動・転勤によって舞い込るとも言えます。
大学や大学院には、入学試験という関門があり、また、年単位でしか、線路のスイッチができない。学位をとるためには、同じ場所に、かなり長い年数にわたって所属し、濃密な人間関係に巻き込まれなければならない。
だからこそ、「切り替え」のチャンスは、積極的にものにしていくことが、大学院生にとって、かなり大事なのではないか。「学歴ロンダリング」と後ろ指をさされることを恐れ、尻込みするのは、割に合わないのではないか。などと思ったりします。よそに行きましょう、よそに。
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