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博士論文に食われる?/4年間の振り返り

佐藤ひろおです。早稲田の大学院生(三国志の研究)です。20年弱続けた会社員生活を辞めて、アラフォーの無職、専業の大学院生です。

いま博士課程の1年生です。博士論文を完成させて、博士号を取りましょう!というフェーズです。
先月、会社を退職しました。客観的には、「さあ学業に専念するぞ」というところですが、なんとなく感じているイメージがあって、「博士論文に食われる」という言葉?感覚?があります。

自分の身の回りのみならず、書籍などで、博士論文が完成させられなくて精神的に追い込まれる、という話を見聞きします。「実力がなかった」「才能がなかった」「よい題材を発見できなかった」「環境や指導教員にめぐまれなかった」など、いろいろな挫折の要因がありますが、
ぼくが警戒したいのは、「形骸化」です。

TOEIC400点→800点に上がった話

この記事の読者の皆さんが、研究をしているわけじゃないので、まず、研究・博士論文以外のことに喩えましょう。

たとえば英語力。TOEICは英語のテストです。英語力を測定できるでしょう。まったく英語ができないのに、TOEICで高得点を取ることは(確率論的に)むずかしい。
TOEICの点数を上げるための教育メニューがあります。それもやはり、英語にまつわることです。英語を効率よく学ぶ工夫がされた、すぐれたパッケージです。
しかし、「TOEICができても英語ができない」「英語ではなくTOEICが自己目的化する」「英語は好きでも嫌いでもないが、TOEICを強制されることによって英語がイヤになる」といったことが起こります。

少なくともぼくには起こりました。当時の会社が用意してくれた英語研修を受けました。目標管理としてTOEICを受けました。
「大学卒業以来、もう英語には10年以上触れてない」という状態で、リハビリ・ゼロでTOEICを受けたら400点ぐらいでした。問題集を2~3冊ぐらいヤッツケで解いたら、800点を取れました。

たった数ヶ月で、TOEIC400点から800点に!!

まるで伝説の英語研修、もしくはぼくに英語の適性があるかのように見えますが、全然違います。勉強時間も、週2時間ぐらいです(自習を含む)。どうやって点数を上げたのか。英語の勉強じゃなくて、TOEICの勉強だけを効率よくやる。そういう試験対策は得意なんでしょうね。
もちろん、ディスもザットも分からなければ、試験の対策だけをやるというのはムリです。勉強したことがないハングルで、同じことはできない。

ともあれ、本来は英語力を測定するTOEICを、
TOEICを自己目的化したら、パッケージの攻略だけはできた。
攻略はできたが、むしろ英語がイヤになった。形骸化です。

博士論文はすぐれたパッケージだが

大学院に進学し、博士課程に入って博士論文を書く。
文学部・文学研究科などでは、最短3年、平均5年強?、長めで10年弱で書きます。※分野や大学、指導教員によって違います

博士論文を読めば、「研究する力」の有無が分かります。博士論文を完成させるための指導は、ノウハウが凝縮されているので、教えるほうも教わるほうも効率的です。
学術的な成果のアウトプット形態としても、博士論文は、近代以降(あるいは戦後)のその分野の知恵が詰め込まれているので、ベストであることには違いがありません。

しかし、興味をもった分野(ぼくの場合は三国志)に接近する方法は、「学術的な研究」でなければならないのか。

目指すルートが「学術的な研究」オンリーで、最優先に身につけたいスキルであり、そのスキルの証明(博士号)を最速で受けて職業を得たいというならば、ゴチャゴチャ言っている場合ではありません。
それこそ、メンタルがぶっ壊れるか、経済的に学費・生活費が枯渇するか、あるいはそれらに追いつかれる前に成果を出すか、という狭い道を挑むしかないでしょう。厳しい世界ですけど、そういうものです。先生に指導は仰げますが、仲間はいないです。高層ビル・電流鉄骨です。

でもぼくの場合、それは必須なんだろうか??
ちょっと原点に遡ってみたい(いまいちど、原点に遡ってみたくなるぐらい、この8月かけて書いていた論文がツラかったんですね)

修士課程の入学を思い出す

もともと、コロナ禍のときに、早稲田大学の大学院の授業に出席させてもらえることになりました。2020年の夏の終わりです。※このnoteのアカウントを開設した時期です

入学試験のタイミングがあわず(願書の提出期限が過ぎていた)、1年間は科目等履修生(別の大学では研究生ともいう)になりました。

2021年度は、科目等履修生でお気楽に過ごしました。
このとき39歳ぐらいです。
いや、当時もがむしゃらに勉強してましたが、「学位」という手形の請求がこないと、勉強は大変ですけど相対的に気楽だった、という感じ。

2022年度(40歳)に向け、修士課程の入学試験を受けるか、かなり真剣に悩みました。というか、自分のなかでは、7割ぐらいは受験しないつもりだった。「学位はいらない。ただ、この分野の授業に出て、論文を書けたら書けばよいが、書けなくてもよい。ただ、関わりが持てる場所にいられたら幸せ」でした。科目等履修生でも大学図書館は使えます。

大学受験から20年のブランクがあった。試験日は、半日ずっと専門科目・語学の回答を書き続ける体力が必要だった。試験に落ちたら、自分の気持ち的につらいですからね。※筆記行動は1ヶ月半かけて練習しました

なぜ正式な学位のために受験したのか。
「修士論文の指導」というパッケージに入り、言葉遣いやルールの型にはまったほうが、先生がぼくを扱いやすいし、指導しやすいのではないか、という、非常に「さめた」気持ちで、受験しました。
アラフォーのお客さん、じゃなくて、「修士課程の学生」のほうが、へんな気遣いが無用です。

日本でとくに文系は、修士号・博士号は、世間的に価値はノーカウントですから、ほんとうに先生との関係の定型化、が第一でした。

ストレートで合格し結果オーライだったものの、2022年(修士課程1年生)は、取らなければいけない単位数が多くて、ヒイヒイ言ってました。2023年度は、会社と両立したせいで修士論文を書き上げたのが奇跡だった気がします。いや、実力で書いたつもりですけど、どこまで先生に導いてもらってたのか、自覚が甘いかも知れない。

夏休みに糸が切れたかも

2024年度の現在、修士号取得、博士課程入学もストレートにきて、博士論文の目次を組み立て始めています。論文の量産体制に入って、いよいよ「論文を書く」を日常化しよう、そうすれば博士論文の完成が見えてくるぞ、というところに入りました。
でも、この8月の研究活動がわりとしんどくて、、

いつのまに、博士論文というパッケージに巻き取られていたのか?
「研究対象を楽しむ、好きな気持ちよりも、成果を出すことが優先になっていないか?」と一周したところです。

思えば、2021年夏に受験準備を始めたときから丸3年、成果・速度、成果・速度、成果・速度、というループに絡め取られていないか???

今年の8月、自分なりには、「博士論文を構成する1章」として意味があると思った題材と切り口、結論が出せたと思ったものが、先生に疑問を投げかけられて、ちょっと糸が切れました。笑笑

いや、まあ、ひとさまより早く?文章を読めるし、書けますし、その分野の知識はそこそこ分厚くなっているのは事実です。「入学試験」「修士課程」「修士論文」というパッケージに助けられ、かなり捗りましたよ。
しかし、そんなに食らいついて、何が欲しかったんだっけ?
このままだと、TOEICのときと同じじゃないか?

最初は「学位なんていらない。ただ漢文を読めてれば幸せ」
と言ってたのに、おかしいですねーー。

正直なところ、この8月に書いたものがNGになっても、致命傷になるものではない。なんなら、1本も書き上げずに夏休み1ヶ月を過ごしてしまった博士課程の1年生のほうが多いかも知れない(怖い話ですね)
書き上げたから、苦労を経験したし、短期間で先生といっぱい会話できたし、差異や不足が浮き彫りになった。これは「研究する力」としては、大いにプラスですよ。
書くことの工程管理は、ほぼ完成した。

でも、なんかちがう!
べつに、むりやり成果をねじ込みたいわけじゃない。

もしも、アカデミック・ポスト(将来の教授職)への就職を焦っているならば、立ち止まっている場合じゃないんですが、ぼくは、大学院に入った時点でもうアラフォーでした。最初から期待値ゼロだし、望んでいない。
ほんとに最初は、
「漢文とか、関係がある授業に出ているだけで、それで幸せ」「授業のなかで、三国志の固有名詞が飛び交っているのがスゴイ。感動して仕方がない」だったのに、なんか、目的と手段、パッケージと狙いが置き換わってないだろうか??

周囲の学生(同級生や先輩)は、アカデミック・ポストを目指しているから、成果を求めるのはもちろん分かります。求めるべきです。でも、自分が巻き取られる必要はないんですよね。「物好きな奇人」として、授業でニヤニヤしていれば、それでよいのではないか。
ニヤニヤしているうちに、なんか博士論文もできたっぽいぞ、ぐらいでよい。年数はかかったけど、先生の定年には間に合ったね、みたいな。

「よし休学するぞ」「いっそ退学だ」とか、そういうデカイ話じゃなくて、原点回帰して、三国志を楽しんで、順序よく力を付けていくことに、もっとシフトしたほうがいいような気がします。
でも、まったくのニート、「休学」は仕切り直しをするには、魅力的な選択肢という気がする。

これは「好きなことを専業にする罠」ではないと思います。好きなことを極めるからこそ、スピードのコントロールが必要だ、メンタルのコントロールが必要だ、より高いパフォーマンスを出すために、ということです。好きなことだから、突出した知見と成果を出したい。そのためには、さじ加減をうまくしなければならない、ということ。
なんとなく外野から眺めていて、ときどき口を開き「好きなんですよ、興味あります。ちょっと詳しいでしょ」「おやまあ、一般の社会人でいらっしゃるのに、存外お詳しい」では、満足ができなかったのだ。

関東圏には馴染みが持てない

でもまあ、長く住んだ愛知県(名古屋)を離れて、関東圏に移ってきて1年半がたちますが、いまいち慣れません。むしろ、名古屋から週1回、新幹線通学してたときのほうが、メンタルは安心だった。
大学時代を過ごした関西圏も、名古屋から近いので、月1回ぐらい行ってましたけど、あれも必要な息抜きだった気がします。

会社も辞めたことだし、いろいろ組み立て直してもいいかも知れません。組み立てるためのブロックのピースは、大学院に通い始めたときよりも、明らかに増えています。

むかしの将来の夢を思い起こす

ぼくが純粋な会社員のとき(自分がアラサーのころ、2010年代前半)も、大学院生の友達がおり、大学院の授業にもぐらせて頂いたりしていました(いま習っている先生の研究室です)。
そのとき思ったのは、
少し年下の大学院生の友達がいれば、いずれ、かれらのなかの何人かが大学教授になるだろう。ぼくは会社を定年になったら、かれらの研究室(大学院)に遊びにいけるぞ、と。

自分で研究する力をつける、という発想はなくて、「大学院は遊びにいくところ」「ときどき養分を吸収にいくところ」という扱いでした。
自分は、研究の本格的な訓練を受けたことがない(残念ながら、訓練を受けることができずに、会社員になってしまった)けれども、かれらから研究の面白い話を聞けば、わりと満たされるのではないか?
実際に、当時の大学院生から、「大学院って、こんなところだ」「先生がこんなことを言っていた」と教わって、ワクワクしてたんですよ。

それが現在、その先生のゼミの最古参みたいになってしまい(たまたま先輩たちが学位を取るなどで卒業していった)。

入試を受けることも躊躇していた。なんなら入試を受けないつもりだったのに、いまや博士論文のための、成果・速度!成果・速度!みたいな焦りに巻き込まれてしまって、メンタルがへこんでるとか、意味わからんですね。
先生がプレッシャーをかけてくるとか、成果と速度をめざしている大学院生が悪いとかじゃなくて、環境のなかにいると染まってしまうだけです。パッケージの力、形骸化の誘惑は強烈なんです。

ここまできたら、とりあえず引き返すつもりはないです。「研究する力」という意味では、博士号は取りたいです。しかし、博士号を取らなかったとしても、外部から『大学院・風説書』を受け取っていた鎖国状態の当時に比べると、かなり力は付きましたし、感覚もつかめてきました。

博士課程の指導プロセスは、それ自体はすぐれたものですけど、あまりに過剰適応しようとすると、形骸化しちゃいます。「博士論文に食われる」みたいな状態が遠くありません。
落ち着いて、仕切り直しですね。プラモデルでも作るか!!

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