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「退職活動」を提唱してみたい #退活

佐藤ひろおです。会社を休んで早稲田の大学院生をしています。
三国志の研究を学んでいます。

昨日、テレビ局のプロデューサーの「会社の辞めぶり」を2年間かけて見てきた、という記事を書きました。当該プロデューサーは会社で担当業務をがんばってきた。
・会社で評価され、出世できたら嬉しい
・退職することになっても下準備になっていた
という「両取り」をかけていた2年間だったように見えます。後者はどこまで自覚的だったか分からないが、行動の実態としては下準備だった。この動き方を「 #退職活動 」と名付けて、略して「 #退活 」と呼んでみたらどうでしょうか。

人生百年時代という掛け声は廃れましたが(笑)、全員が会社との距離感を模索し、生きていかなければいけない。
もしも会社で配属・評価・昇進昇格に恵まれなかったときに、「会社に裏切られた」「労力をアダで返された」と腐るのは不幸です。我慢の対価として受け取った給料で、憂さ晴らしの消費をするなんて、もはや生まれてきた意味がありません。「退活」をやって、選択肢を分散させておく働き方があってもいいかも知れない。

「退活」は、転職活動とは違う。
転職とは、同じ職種、あるいは同じ働き方で、条件面や人間関係を調整すること。これとは区別したい。

上記プロデューサーの動き方を参考に、「退活」とは、フリーランスになる準備と捉えたい。
身分としての「フリーランス」とか「個人事業主」であることには拘らず、個人として仕事をできる・請け負えるようになるための活動を、「退活」としてみたらどうか。

どこまで「退活」を顕在化し意識的にやるかは、濃淡のグラデーションだと思ってます。突然、いまの会社への忠誠心を下げるとか、仕事を熱心にやらなくなるとか、そういう活動ではない。
会社の仕事は、今までどおりやるんですよ。ただし、心の片隅に「退活」という概念を置く。ただその概念があることで、現状の働き方に悩んでいるひとが、気分が晴れればそれでいいんです。

就職活動(就活)は、書類作成や面接行脚は半年から1年しかやらないが、学歴やスキルを蓄積することは、幼少期からやっていた。結婚活動(婚活)も、お見合いやアプリ、パーティは数ヶ月かも知れないが、年収や性格の形成は、生まれてからずっとやっていた。
これら「活動」は、グラデーションです。専従でやるべきものではない。現状の生活と対立するものではない。突然、行動基準を変える必要はない。いまの関係者と利害が相反するとは限らない。
極めつけの、終末活動(終活)なんて、いつ結果が出る(死ぬ)か分からない。「活動」なんて、ふんわりしたものです。
「退活」は、延々と続く「会社員生活」と同時にできるはずだ。
すべての活動は、節目のときだけ専従する。入社式、結婚式、お葬式。退活の場合、独立に踏み切るときに、1ヶ月ぐらい諸々の手続(書類の提出や届け出)があるだけだ。退職するのが早いか遅いか、あるいは定年まで来ないか。という時期の問題に過ぎない。

会社ぬきの自活を視野にいれよう、「退活をしてみよう」というのは、自分のなかでの決めごと。公言する必要はない。
○○活動というのは、気恥ずかしいものだ。「婚活中です」「求職中です」というのは、バツが悪い。結論が出たあとに、事後報告するのが理想的です。「このたび結婚します!」「去年から働いていました」という結果が出てから、初めて言えばよい。

会社の日々の業務は、これまでどおり(場合によっては、これまで以上に)きちんとやっている。しかし、日々の業務が、ほんのりと退職(独立、個人受注)の準備にもなっている。そんなふうに、玉虫色に働いている。会社のご迷惑にならない範囲で、自活の準備のために、会社を暗黙裏に利用させてもらっている(側面もある)。
そういう「退活」の感覚が、ひっそりと水面下で広がれば、生きやすくなるのではないか、と思います。

なぜか、「いい会社に入り、安定して勤続し、同期より早く昇格し、1万円でも多く月給を得る」というゲームに絡め取られて、人生がマックラになり、生命エネルギーが枯渇する世界観に絡め取られるので、あえて思ってみるのです。自分は「退活」中なのだと。

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