中野汐里『人生後半は大学院から』を読んだ/社会の冷ややかな目
佐藤大朗(ひろお)です。早稲田の大学院生(三国志の研究)です。20年弱続けた会社員生活を辞めて、アラフォーの無職、大学院生です。
noteのおすすめで知り、中野汐里さんの『人生後半は大学院から』を紙の書籍で購入して読みました。120頁ほどのコンパクトな本ですけど、長くしようと思えば無限に長くできた体験記を、あえてコンパクトにまとめている本なので、とても濃密です。
まさに社会人を経験してから、大学院に通って博士号を取得したという「先輩」の体験記なので、
・社会人だけど大学院に興味がある
・アラサー以上の大学院生だ
というひとには、とても参考になり、励みになると思います。
おもしろくて貴重なのは、
「社会人大学院」ではなくて、ふつうの研究者の訓練機関としての大学院に行って、きちんと博士号を取った体験記である点です。
社会人大学院は、入学試験を簡単にしたり、論文のレベルを手加減してくれます。いわば、授業料の「ドル箱」「客寄せ」のためのサービスです。※口が悪いな
しかし著者の中野氏は、仕事を辞めて、将来の大学教授予備群のなかで一緒に学んでいます。
ぼくも同じで、「社会人大学院」ではなく、ふつうの大学院生。著者の中野氏と違って、アラフィフではなくアラフォーで進学した点のみが異なりますが、年齢的にも社会的にもアウェイに違いありません。
高齢の大学院生活の「あるある」
入学試験のパス、先行研究の読み込み、現地調査、学会報告、論文作成などは、まさに「やるしかない」ので、自分の努力内容、進捗のチェックに使っただけでした(笑)。※同業者の殺伐とした目線
指導教員とのコミュニケーション、ほかの大学院生との関わりは、ああそうだよな、という共感が多かったです。
本には、「入学式で保護者に間違えられた」というエピソードがあり、ぼくはそういうことがイヤなので入学式をスキップしてしまいました。
入学時期のビラ配り(サークル勧誘)などで、ビラをもらえなくて当然だけど、もらっても微妙、、という経験をしました。※ビラを配るひとは、どうせ相手なんか見ていないのにね
中野さんは、「年長者の研究報告に意見をするなんて、無礼者だ」と、他の大学院生に怒ってしまう高齢の大学院生のエピソードを引いていましたが、社会においては、むしろこのキレ方のほうが常識ですよね。
年長者が間違ったことを言っても、支持するかスルーするかが社会のマナーであって、不適切さを指摘するのは、マナー違反です!!!
大学院の同学年(学部を卒業してストレートに進学したひとたち)と、年齢を理由に距離感ができるのはイヤだな、、というのも、中野さんと同じ葛藤があります。
学年が上の大学院生から、年長者として気を遣われてしまうもの、居心地が悪いです。ぼくは、「学年による序列」を意識し強調してますが、強調している時点で浮いているだろうな、、とかも。
修士課程に入ったとき、全方位に「さん」付けで呼び、全方位に敬語を使っていれば大丈夫だろう、と思っていました。ところが自分が大学院内で学年が上がると、「学年はぼくが1つ上、年齢はぼくが20個上」みたいな、どちらもぼくが上じゃん、という相手も混じってくるんですが、「さん」と敬語づかいを解除するタイミングが難しい。
社会からの冷ややかな目
入学式で保護者に間違われるとか、ほかの大学院生との距離感が難しいなどは、「語りたくなる」あるある現象ですし、まあ「好きにやればいい」ということかも知れませんが、
社会からの冷ややかな目、というのは、かなり重いテーマです。
けっきょく大学院って、学部を卒業して、将来は大学教員になりたい学生が、就職資格である「博士号」を取りにくる機関なんです。この設定自体に、いい悪いはなく(というより、必要な訓練を厳しく受けられるので「いい」ことだと思いますけど)、
社会人から大学院生になったとき、うまく折り合わないというか、「私は誰だ」「なぜここにいる」という問いが、進学した社会人の個々人に、任されている(丸投げされている)のです。
中野さんの本では、104ページに「「アラ還」の私が学位を取得することの意味」という節があって、ここが身につまされます。
・博士号の学位を取れたことは嬉しいが、学位を取ることが目的ではなかった。大学教員になりたかったわけでもない。年齢的にも職を得ることが難しいことは分かっていた。
・博士号は、大学院で研究する際の目標となる。学位は「目的」ではないが「目標」にはなっていた。自分を律する力にもなる。
・私のような「在野のおばさん」が博士の学位を持つことが面白くない人や快く思わないひとがいる。揶揄の対象にされ、冷ややかな言葉を投げかけられたりする。
・一介のおばさんが博士号を持つことに羨望ややっかみを持つ人は依然として存在する。だから、必要がない限り、学位のことは周囲に伝えないし、日常生活でも話題にしない。
・大学院で研究を始めたとき、知人から「優雅にお勉強ができていいわね」と冷ややかに言われて以来、余計なことは言わないほうが賢明だと思うようになった。
著者の中野さんが大学院に進んだのは(プロフィールから逆算すれば)2000ゼロ年代です。その当時、中野さんはアラフィフだった。
ぼくは2020年にアラフォーで大学院に出席を始めました。ぼくよりも10年以上早く、10歳ぐらい上で大学院に進んで博士号を取った、という方なので、遥かに世間の風当たりが強かったんだと思います。
こんなことはあってほしくないし、書きたくありませんが、中野さんが「女性」であることもハンデになったんだと思います。「在野のおばさん」という表現は、とても重々しい嫌味、憎たらしさが込められています。
日々、だれかに後ろ指を指されながら、ガミガミと貶されることはないかも知れませんが、そういう社会の「常識」というのは、内面化されて自分を咎め続けますからね。
読み手のプロフィール、勉学の進捗によって、いろいろな読み方ができる本だと思います。「社会人(であるにも拘わらず※)大学院に興味がある」というひとにはおすすめの本でした。※なぜか逆接なんですよね
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