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ぼくの人生は「半額」か/経済史に名前を残すのを諦めた

おはようございます。佐藤大朗(ひろお)です。会社を休んで、三国志を勉強しています。ぼくが勉強を継続しようと思った、決定的な出来事についてお話をします。もう10年以上前のことです。

ぼくが20代半ばのとき、取引先で、(旧来の)日本型の大企業の給与体系のレールに乗っている人から言われたんです。
私たちの会社では、20代で年収500万円~600万円、40代で年収1,000万円を超える(保証がある)。きみも学歴があるんだから、そんな会社にいたら、ダメだぞ。もっと給料を上げる努力をしたらいいのに」
その時点でぼくの年収は、これの半分ほどでした。

ぼくの学歴は、プロフィールに書いているのでくり返しませんが、いわゆる「学歴秀才」ではあります。
上で受けたアドバイスは、「人として生まれたからには、とりあえず年収1,000万円のレールに乗りましょう」という、思いやりに満ちたものでした。
最近読んだ本ですと、
小熊英二『日本社会のしくみ 雇用・教育・福祉の歴史社会学』(講談社現代新書、2019)に言うところの、「大企業型」キャリアへのお誘いです。若いころのぼくには、そこに合流する資格はありました。
※「大企業型」とは、大学を出て大企業などに雇われ、正社員・終身雇用の人生を過ごす人たち。所得は比較的高い。しかし労働時間が長い云々。

しかし……、
ぼくは悩んだすえ、「大企業型」のド真ん中に行くことを、希望しないことを決めました。20代半ばのことです。
かりに、「大企業型」のド真ん中で、同じ年齢(というより、同じ「学齢」という基準で人間を測定する「奇習」があります)よりも、出世が数年早かったとして、それがどうなるのかと。すなわち、

「大企業型」で勝ち抜いたところで、
ぼくが、日本の経済史に名前を残すことは、ほぼ確実にない!!

という限界を悟ってしまったんです。
仕事はそこそこに。いちおう、働きはしますし、年収アップを目指すものの、「大企業型」のド真ん中で戦っていこうという希望を、自分から棄てたんです。
だって、年収1,500万円ぐらいもらっている、周りのおじさんたちも、日本の経済史に、名前なんて残りません。大企業のトップですら、すべての代(歴代の社長全員)が、経済史に名前が残るわけじゃないんです。

ぼくは転職を経験し、開始早々、レースに出遅れました。もう転職はまっぴらだったんです。いまの会社でも、いわゆる「平均」の年収はもらえる。転職はしませんでした。
ただし、取引先の人たちと親しく付き合い、横並びに仕事に打ち込み、仕事のなかで喜び・哀しみ・ストレスをフルコースで味わって、休日は会社の人と、マラソン・バーベキューをして(適度に)磨り減っている…ようでは、
ぼくの人生は半額ではないか!!
という思いを抱くようになりました。

そこで、仕事とは距離を置くことにしました。
会社がらみの、喜び・哀しみ・ストレスは、「半額」相当の分しか関与しない。マラソン・バーベキューは全部を断る。そんなつまらないことで(なかば確信犯のように)互いを磨り減らして、エネルギーを発散・解消している場合ではない。と、心に決めました。

平均年収なみの「会社員」としての生活は、ぼくの人生の半分。欲を言えば、半分未満に抑える。あと半分は、自分のやりたいことをやる。
#ここが結論 #人生の結論

ぼくが大学生のころ、「牛丼は全部半額になったけどぼくの夢は値引きしない」っていう歌がありました。その歌が、頭の片隅にありました。
#イキナリズム

そういうわけで、ぼくは、
経済史はムリであろうと、もう半分の人生で、日本の文化史に、かすかにでも関与する(できれば貢献をする)活動がしたいと思いました。あきらめること、限定するところから、ようやく「何者かになる」ための準備が始まったのです。
以上、自分語りでした。おそまつさまでした。

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