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とつぜん卒業論文の口頭試問に立ち会った日記
佐藤大朗(ひろお)です。早稲田の大学院生(三国志の研究)です。20年弱続けた会社員生活を辞めて、博士課程の学生をやっています。
予定になかったし、自分に出席資格はないのですが、ふとしたことから、卒業論文の口頭試問に立ち会いました。口頭試問は、大学ごと・先生ごとにいろいろな形式があると思いますが、今回立ち会ったのは、同じ先生に習った複数の大学生が、みんな同席の場で、順に先生から質問されたり、講評を受けたりする形式でした。
先生と卒業生の1対1の口頭試問ならば、ぼくが立ち会うのはいかにもおかしいですが、「集団面接」的な空間に、学生側でもなく先生側でもない中途半端な立ち位置で出席しました。出席じたいはアクシデントです。
※この場合の先生とは、ぼくの大学院の指導教員でもある
卒業生は自分の卒業論文が俎上に上がるので運命の分岐点であり、先生は卒業論文に評価を下し卒業させるか否かを判断するので、責任重大です。ぼくはそのどちらでもないないから気楽かと思いきや、そんなことはなく。
むしろ先生は、ぼくを教育するために立ち会うチャンスを与えたのではないか?と個人的に振り返っています。※妄想&曲解です
先生に問い質しても、「その場で発生する作業(不定形の雑務)をやってもらいたいし、せっかく報告を聞いたならコメントすればいいんじゃない?」とか言いそうです。真意は実際にそうなんでしょうけど。
ぼくはこれ幸いと勝手に「学び」にいきました。
卒業論文(大学4年生)にコメントするのって、最低でも2つの能力が必要だと思います。
(1) 論文を目利きする力
(2) TPOに合わせた発言をする力
口頭試問の教室に放り込まれて、やりながらとっさに考えたことについて、このnote記事に書き残しておきたいと思います。
個人的な振り返りですが、20年近く前、自分の卒業論文に受けたフィードバックは、まだ室内の情景を覚えています。先生に言われたことも(部分的にですが)記憶しています。
ちょっとエモい話をしますと、数年前(2022年ぐらい)、当時コメントを下さった先生の訃報に触れたとき、思い出したのは、卒論の口頭試問でのフィードバックでした。たくさん授業に出席し、日常的に接点は多かったものの、訃報に触れた瞬間に思い出したのは、ぼくが生まれて初めて書き上げた論文に対するフィードバックだったんです。それぐらい、卒論の口頭試問は重い、という理解が前提にあります。身を以て体験しています。
ちなみに、去年やって頂いたぼくの修士論文の口頭試問も、そのときに言われたことは、細かく覚えています。博士課程1年間の指針になったというか、たびたび思い出しています。
(1) 論文を目利きする力
研究者たるもの、自分で論文を書きますし、他人の論文を読みます。順序としては、他人の論文(先行研究)を読むのが先で、自分の論文を書くのが後です。しばらく研究生活をやっていると、どちらが先・どちらが後、という区別がなくなっていきますが……、
理論上は、さきに他人の論文(先行研究)を読んで、他人の論文を整理し批判しなければならない。
論文を目利きする力は、研究者としての腕の見せ所です。他人の論文の価値(おもしろさ、新しさ)を瞬時に見抜いて、的確に論評できてこそ、研究のスタート地点に立てるのです。
卒業論文(2万文字強)の内容を、A4で3枚から5枚程度にまとめた15分から20分程度の報告を聞いて、初見かつ即興で、「このプロセスはがんばった、ここがいい、ここが課題かも知れない」ぐらいの簡潔なフィードバックをします。
めちゃくちゃ「研究筋(研究者としての筋力)」を鍛えられた。もとの経緯からして、予測不能な雑務をこなすために別室に待機しているはずだったのですが、めちゃめちゃ「働いて」いるぞ!!
常在戦場、常在研究。
ぼくと卒業生が受け答えしたあと、先生が、より高い目線から、評価やアドバイスを下していきました。
先生にどこまで意図があったのか不明ですけど(恐らく何の意図もなかったと思いますが)、ぼくのコメントがあることで、先生の評価やアドバイスが三角測量のように第3の点となり、立体的なフィードバックになりました。※講評するオーナーは先生なので、ぼくは味つけ程度になっていれば十分なのです。恐ろしく的外れなことを言っても、先生が、ぼくの人格ごと抹殺(キャンセル)すればよいのです。
先生の代弁者、迎合者になる必要はありませんが、「どれだけ的確にコメントができるか?」ぼくも教育されていたはずです。※個人の感想
この論文を目利きする力は、みずから研究するときに重要です。もうちょっと技術的なことを言えば、自分で自分の研究の価値を判断するときに、発揮されるべき能力でもあります。
博士課程の学生のうちは、「やりたい!おもろい!いけそう!」と思ったネタを研究のレジュメにまとめて、先生のところに持っていって、「ばか!ぼけ!しね!」って言ってもらえますが(そんな言い方はしませんが、要するにそういうことです)、博士号を取った後は、自分の研究を少し突き放したところから客観的に目利きして、いけそうか、もっと練るべきか、やり直すべきか、自分で判断しなければいけません。予行演習です。
(2) TPOに合わせた発言の力
学会にいって研究報告をすると、会場の参加者(近年はオンラインでzoomで参加しているひとを含む)から、コメントや質問を受け付けます。
多くの学会に、「学会クラッシャー」というひとがいます。
TPOを踏まえないコメントで、学術的になんら生産性がなく、発表者も司会者もげんなりする……という定例行事があります。※心ある学会運営は、学会クラッシャーを暴れさせないための工夫があります。
今回は、卒業論文という、必然的に「初手」「荒削り」な論文に対するコメントです。手加減、手心を加える必要はありませんが、いわゆるプロの研究者の論文を批判するのと同じ調子でやっても、的外れです。
「卒論の口頭試問クラッシャー」になってはいけない。
論文の作成者が、つぎの4月から社会人になるのか、大学院生になるのかで、コメントの重点が変わります。わりと内容まで変わります。
就職して社会人になるならば、卒業論文で達成した到達点をきちんと(先輩として)言語化して、自信を持って社会に出て行ってもらいたい。
あなた(卒業生)が卒論で成し遂げたことが、社会でどのように繋がるのか、ヒントを出せたら嬉しい。こればかりは、「他人をコントロール」する類いになるので過度の介入は慎むべきですが、意外と大学で最後に言われた言葉って、記憶に残りやすいので、「はなむけ」「ことほぎ」で終わりたいんです。わずか数ヶ月とはいえ(←悪口)心血を注いで書き上げたものに対する年長者のコメントって、すごく刺さるんです。
進学して大学院生になるならば、修士論文にどのように広がるのか。現時点でどこまで到達し、修士課程1年で何に注意して学び、修士課程2年でどのように結実させるのか、という見通しを示したい。
大学(大学院)の研究指導のゼミでは、①学生のステータス、②学生が持ってきた題材の位置づけによって、コメントが異なるはずです。異なるべきだと思います。
①学生のステータスとは、平たくいえば学年です。どの学年にいるかによって、アドバイスは変わってくる。上の「就職か進学か」によってコメントが変わるのも同じ話です。
②題材の位置づけとは、いま発表したネタが、論文作成におけるどの局面にいるのか。段階ごとにコメントが異なります。
・興味の所在を探す
・先行研究との関係を探る
・資料を正しく読む
・言いたいことを組み立てる
・言いたいことを正しく論じる
・完成原稿として投稿する準備中
・完成後のフィードバック
それぞれのタイミングで「それを言っても仕方ない」「それを言っちゃあオシマイよ」みたいなコメントがあるだろう。それでは困ります。迷惑なクラッシャーです。
研究者ってやりたいほうだいの社会不適合者のように言われることがありますけど(実際にそうかも知れませんけど)、TPOは大事です。
アクシデントのように同席することになった卒業論文の口頭試問ですけど、大学院生としての自分の身において、(1) 論文を目利きする力、(2) TPOに合わせた発言をする力を反省させられたし、わずか1コマ(100分)のあいだに、めきめき成長したような気がします。大学生たちの人生にとって超重要な儀礼の場に、いきなり混ぜてもらって(まさに闖入者)、その場を利用して学ばせてもらったという感じ。疲れた。