研究論文はマーケティングが8割
佐藤ひろおです。早稲田の大学院生(三国志の研究)です。20年弱続けた会社員生活を辞めて、アラフォーの無職、大学院生です。
文系の大学生(卒業論文)、大学院生(修士論文、博士論文)になると、「先行研究を踏まえよ」というアドバイスは、勉強の初期段階から、耳にタコができても指導されますね。大学生・大学院生のなかで、先行研究を読んだことがない、レポートや論文で先行研究に言及したことがないひとは、ひとりもいないと思います。
先行研究が大事だ。そんなことは、200%も承知です。
研究論文への誤解
研究論文には3つの要素があり、
①分析主体(自分)
②分析対象となるデータ
③先行研究
ぼくは、①自分と、②データ(文学研究であればテキスト)を重んじていました。①自分が関心を持った②データ(テキスト)を読んで分析していく。論文とは、①自分が②対象をどのように理解したかを示すものである、と考えていました。
①自分が②分析するとき、③先行研究を参考にする。まさに「参考文献」と言うじゃないですか。①自分が②分析した結果、③先行研究の説に疑問が生じ、修正が必要な場合は、適宜それを提案していく。③先行研究とどのような違いがあるのか、きちんと言語化して示すべきだ。
という程度の認識でした。
ぼくの場合、②分析対象となるデータ(三国志)のマニアです。②対象に関する固有名詞をすらすらと言うことができる。
かたや、
③先行研究、研究者の名前について、楽しそうに紹介することも、暗誦してすらすらと言うこともできない。固有名詞だからド忘れしたのではなく、そもそも③「先行研究」マニアではない。論文に引用し言及するために、必要に迫られて目を通すものであり、あんまりシックリ来ていない。
先行研究がもっとも重い
ぼくが修士課程までに持っていた、①自分と②研究対象を重視したスタイルでは、おそらく今後、研究論文の条件を満たすことができない。
②研究対象と同じぐらい、いやそれ以上に、③「先行研究」マニア、「研究者」マニアになることが求められる。
学生の皆さんは、大学・大学院の授業を思い出してほしいんです。大学教授たちは、学生が書き取ることができない速さで、研究者の名前をスラスラ言いますよね。②研究対象よりも、③研究者の話をしている時間のほうが長いかもしれない。
阿部幸大『まったく新しいアカデミック・ライティングの教科書』に引くところのベルチャーの説によると、
研究論文とは、③先行研究のあいだですでに提示され、取り組まれている問題、研究者のあいだで交わされている会話に割り込んで、話者らの認識を更新するものです。それが論文である。それのみが論文である。
現代の研究者たちが、ある③トピックやデータについて議論している、新たに発掘されたデータがある、ニュースで注目されたトピックがあるならば、その会話に割って入らなければならない。
自分が属する国とか大学、発言力があり関係が深い大学教授が、やったほうがいいね、やるべきだね、やるのが有利だね、という環境認識・条件を示したならば、やったほうがいい。というか、やるしかない。
研究論文として認められるか否かは、③先行研究の動向、つまりマーケティングが8割だろうな、というところに、遅ればせながら、博士課程1年生で到達しました。
③研究動向をみて、②価値が認められている題材に目を向け、①自分の問題関心をすり寄せていく。逆転の発想です。いや逆転というよりは、いままでぼくがピュアすぎたんだ、好事家の趣味だったなと思います。
研究論文は、マーケティングが8割。
ちまたにあるキャッチフレーズのように「9割」にしなかったのは、せめてもの抵抗であり、ぼくなりに信じたいこと?を盛り込んだ結果です。
当然、沸き起こってくる疑問
このように「現実的」なことを書くと……、
それは正論かもしれないが、おもしろくない、
そんなことなら、研究なんてしたくない、
という当然、沸き起こってくる疑問がありますね。
これについては、記事を改めて書こうと思います。
もう2000字です。note記事としては息切れです。