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派遣社員の人権クライシス

私は感染する前まで派遣社員として働いていた。

その企業は上場企業で私が配属されたところは本社の情シスだった。

緊急事態宣言が発令された時には、正社員はみな”月1出社”となっていた。

そしてなぜか派遣社員の私だけが週5で出社し”出社しないとできない業務”を”そういう契約だから”と、新たに振られた。

そんなある日の午前、上の階で感染者が出た。

しかし、それを課長から知らされたのは、仕事を終えて帰宅の準備をしている時だった。

「Hiroro君ちょっと、、、」

と、課長に小声で呼ばれた。

「実は今日ね、上の階で感染者が出ちゃったみたいでさ、、、」

「一応消毒は済ましてあるから!」
「それと、、、このことは誰にも言わないでね、、、」

と言われた。

社会では「クラスター発生!」というデカいニュースで企業が炎上し、吊し上げられるという状況だったからなのかも知れない。

そして次の日、私の毎日の締めの業務として「上の階にまとまった稟議書を提出しに行く」という業務があるのだが、社内一斉メールで”上の階には決して来ないように”と回ってきていたので私は係長に確認した。

「係長、稟議書はどうすればよろしいでしょうか?」

「あぁ、、、お願いできるかな?」

「はぁ、、でも今朝の一斉通達メールでは”来ないように”と書かれておりましたが、、、」

「大丈夫じゃなぁ〜い?まぁよろしく頼むよ!」

と、ふざけた笑顔で私に書類を持っていくよう促した。

私はなるべく息を止めて感染しないようにと、書類を持っていった。

2階のフロアは閑散としていた。

派遣は確かに責任度の低い仕事をするからこそ、自由にライフワークバランスを構築できるメリットがある。

だが私はこうした一連のやり取りに対して疑問が沸いていった。

今思えば怒りさえ感じていたのだと思う。

正社員と同じ量、あるいはそれ以上の仕事やタスクを抱えながら、給料も社会保障もほとんど無い派遣社員が、命を懸けてまでやることなのか?

会社を非難しているのではない。

当時は”緊急事態宣言”や”GoToトラベル”など、国や自治体の手探りの公的処置をし、企業や個人などの民間人はその上で踊らされていたというのが、私が感じた当時の社会への印象だ。

派遣制度はもちろん、企業ルールも”有事”を想定されていないのだ。

だからそのまま”弱肉強食の摂理”が適用されていく。

あれから3年、予想通り、私のような一部のマイノリティがスケープゴートとなっただけで”臭いものには蓋をしろ”の如く、コロナは第5類に分類され、仮想的に”鎮静化”していっている。

私はそんな疑念や不安、ぶつけようのない怒りを抱えながらもなんとか出勤していたが、徐々に不眠症になり、朝起きることができず、午前休や有給休暇を取るようになっていた。

心療内科に行くと「抑うつ状態ですね」と診断された。

要は「うつ病一歩手前ですよ」という意味だ。

「このまま悪化すると拗らせるのでとにかく休養を」と医者に言われた。

今こうして振り返っても当時の記憶はかなり”断片的”だ。

複雑性PTSDが進行していったのだと思う。

複雑性PTSDは「自己の喪失」が要因の一つと言われているが、私はコロナによる人権クライシスをくらいアイデンティティが揺らいだのだと思う。

簡単に言えば「なんのために生きてるんだろう?」という感じかな。

私は3ヶ月ごとの雇用契約更新だったが、案の定更新はされなかった。

事実上のクビだ。

そして通達の1週間後、事件は仕事帰りの満員電車で起きたのだった。


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