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僕の吃音歴(学生時代編⑤)

「僕の吃音歴」の学生時代編。学生記者の活動、社会福祉サークルでの活動と紹介しましたが、今回はアルバイトについて書きたいと思います。

以前も書いたように、実家は決して裕福なほうではありませんでした。私立大学の学費に東京での生活費と、大学生活にはかなりのお金が必要になります。親の負担を少しでも軽くしたいという思いと、社会勉強になるだろうという考えもあって、学生時代はいくつかのアルバイトを経験しました

学生記者やサークルの活動では、吃音にはそれほど困らなかったと書きました。しかし、アルバイトとなると、吃音でうまく言葉が出ない場面も多く、それなりに苦労をしました。吃音での困り事に触れつつ、学生時代に経験した主なアルバイトについて書きます。

※長文になってしまったので、アルバイトごとに見出しを作りました。




① 百貨店での短期アルバイト


1年次と2年次の長期休暇中に、新宿の百貨店で約一か月間の短期アルバイトをしました。この頃はまだ人と関わることが怖く、長期のアルバイトで継続的な人間関係を築く勇気がなかったので、そうした心配のない短期のアルバイトにしました。

最初は1年次の冬休み、歳末の短期アルバイトでした。なぜ百貨店を選んだかというと、接客・販売の仕事をしてみたかったのと、都会の百貨店で働くのってなんか格好いい! と思ったからです。

吃音があるのにそんな仕事を選ぶなんて今思うと無謀な気がしますが、幸運にも採用されました。懸念していた面接は、希望の勤務日数や曜日を聞くだけの事務的なものでした。また、面接官が優しく人当たりの良い男性だったので、どもりながらも何とか受け答えをすることができました。

僕は、地下一階にあるスーパーの販売補助の仕事を任されました。具体的には、袋や氷をバックヤードから持って来てレジとサッカー台に補充する、店内のあちこちに置かれた買い物かごを所定の場所に戻す、フロア全体に散らばったカートを所定の場所に集める、という仕事でした。レジ打ちさえしない雑用ばかりでしたが、人と話さず一人でもくもくとできるので、ここに配属されてよかったと思いました

袋や氷を運ぶのは力仕事ですし、カートを探してフロアを歩き回るのもそれなりの運動量になります。高校中退以降引きこもりに近い生活を送り、浪人時代も運動らしいことをしていなかった僕は、この頃は体力が極度に落ちていました

これだけの仕事でもへとへとになり、帰りの電車では壁に寄りかかって寝てしまうほどでした(朝から夕方までの勤務でした)。仕事中、疲れが酷くなると気持ち悪くなってしまうので、それを紛らわせるために小さなチョコレートをポケットに入れて誰もいない所でこそっと食べていました。

仕事中は人と話すことはあまりなく、話す場面といえば、出勤と退勤時の挨拶くらいでした。休憩や食事用に社員の控え室がありましたが、僕は休憩時間は社員食堂に行っていたので、休憩中もほぼ人と話すことはありませんでした。

店頭にいると、たまにお客さんが「◯◯はどこにありますか?」と聞いてくることがあり、それにはなかなか慣れませんでした。声をかけられるとビクッとして、全身に緊張が走りました。どもりながら商品の場所を教えたり、分からなければ他の社員に聞いたりしていました。よほど緊張していたのでしょう。よく社員から、「そんなに緊張しなくても大丈夫」とか「肩の力を抜いて」と言われました。

無事にスーパーでの短期バイトを終えて二か月ほど経った頃、採用担当者(あの面接官)から電話がかかってきました。また短期のアルバイトを募集するから来ませんかという誘いでした。ということで、2年次の春休み、再び百貨店での短期バイトに就くことになりました。 

今度はスーパーではなく、最初に催事場での商品案内の仕事、次に地下食品売場での豆菓子の販売をやらされました。催事場での仕事は、買い物をした客にプレゼントの弁当箱か何か(よく覚えていません)を手渡すだけというごく簡単なものでした。しかし、これがなかなか大変でした

弁当箱には赤色と青色があったのですが、「赤色と青色のどちらがよろしいですか?」と客に聞かなければいけませんでした。しかし、この頃にはもう母音が苦手だった僕は、「赤色」「青色」がなかなか言えず、客に聞くときに何度も詰まってしまいました

例えば、手でそれぞれを指しながら「どちらがよろしいですか?」とだけ聞く方法もあったと思います。しかし、当時の僕は生真面目で、教えられた通りに「赤色」「青色」と言わないといけないと思い込んでいました。うまく回避する方法も見つからず、どもりながら、ひたすら客への質問を続けました。その日の仕事を終えると、いつも背中やわきが汗でびっしょりになっていました。

一週間ほど催事場で働いたあと、今度は豆菓子の販売を任されました。こちらも客前に立っての仕事ということで、かなり緊張して臨みました。もともと女性の販売員が三人いて、そこに僕が臨時で入ったというかたちでした。幸い、豆菓子の説明(たくさんの味の豆菓子を売っていました)のような対客の仕事はだいたい販売員がやってくれ、僕は主に、「○○(店の名前)でございま~す」と客の呼び込みのような役をやらされました。

店名は言いやすい言葉だったので、これはほぼどもることなく言えました。しかし、ここでも生真面目さが出て、ずっと大きな声で店名を叫んでいたので、すぐに喉が枯れて声ががらがらになってしまいました。また、ここでも極度に緊張していたのがバレていたようで、「そんなに緊張しないで」と販売員に何度か笑われました

仕事終わりに、豆菓子をいくつか貰ったり買ったりしましたが、「ブラックペッパービーンズ」という黒胡椒味の豆菓子がとても美味しく、その後この百貨店を訪れることがあると、決まって買いに行きます。

百貨店でのアルバイトについて、最後に印象的なエピソードを一つお話しします。スーパーの仕事に就いたとき、一緒に採用されたおじさん(おじいさん)がいました。同期ということもあり、よく話しかけてくる人で、正直ちょっと鬱陶しく感じていました。高圧的なところも苦手でした。ある日の仕事終わり、その人が「俺は有名なカメラマンだ」と言いました。まさかと思っていると、ヒマラヤ山脈を撮影したという写真集の存在を教えてくれました。後日、仕事のあとに新宿の紀伊國屋へ行くと、なんと、その人の写真集が本当に売られていたのです。撮影者のプロフィールには、間違いなくそのおじさんが載っていました。こんな所でプロの写真家と出会うなんて、東京はすごい所だと驚きました。同時に、そんな人でもこんな場所でアルバイトをしなければ生活できないのかと、複雑な気持ちにもなりました。


② ドラッグストアでのアルバイト


続いて、ドラッグストアでのアルバイトを紹介します。近場で長く働きたいと考え、住んでいるアパートの最寄り駅のそばにあるスーパーの二階にあるドラッグストアでアルバイトを始めました。ドラッグストアを選んだ理由は、百貨店と同じく、販売系の仕事がしたかったのと、ドラッグストアが好きだった(いろいろな商品が並んでいて見ているだけで楽しいですよね)からです。

当時の僕はやたらと接客・販売のアルバイトを希望していました。吃音があるのに、客前に出る仕事がしたかったんですね。不思議だ。長期のアルバイトに関しては、大学で学生記者をしていた頃だったので、バイト先でも新しい人間関係を築きたいという考えがありました。

ドラッグストアの仕事内容は、レジ、品出し、閉店作業などでした。17時頃から21時(閉店)までの勤務で、週2、3回シフトに入っていました。夕方の時間は社員一人とアルバイト二人で回していて、アルバイトはレジとその他の業務(品出しなど)を交互にやっていました。

初めての本格的な接客となったわけですが、そこにはやはり吃音の壁がありました

レジでは、ピッとバーコードをスキャンするたびに、「○○円」「▲▲円」と金額を言う決まりになっていました。そして、最後に「(合計)◇◇円になります」と合計金額を言わなければいけませんでした。これでよくどもりました。とくに「ご」が言いづらく、「五百~円」とか「五千~円」のときは高確率で詰まってしまいました

また、「袋をおまとめしてもよろしいですか?」というのも決まり文句だったのですが、「ふ」も苦手で、これもよくどもりました。それと、品出しなどをしている際、レジが混んでブザーで呼ばれると僕もレジに入ることになっていました。このとき、「お待ちのお客様はこちらへどうぞ~」などと声をかけるのですが、これもうまく言えないことが多かったです。レジの前に客が列を作っている状態なので、人に聞かれているという心理が余計に吃音を誘発しました

そして、一番苦労したのがポイントカードの説明です。買い物をした客がポイントカードを出さなかった場合、ポイントカードを作るか尋ねて、作ると言われたらポイントカードの説明をする必要がありました。これも苦手でした。そもそも「ポ」が言いづらいですし、ポイントカードの細かな決まりもややこしく、しどろもどろになりながら説明をしました。

説明するのがつらいので、次第に、詳細は省いて言える範囲の言葉で適当な説明をするようになりました。さらには、ポイントカードを作るか尋ねること自体をサボるようになりました。こんなこと、本当は駄目ですし、アルバイト失格なのですが、それほど、ポイントカードの説明をするのはしんどかったです。その他、イレギュラーな告知やイベント事などがあった際も、その説明はうまくできないことが多かったです。

レジの仕事は、吃音の人にとってはなかなかきついと思います。客が一人の場合はまだよいですが、混んできて列ができると、他の客に自分の声を聞かれているという緊張感や、客を待たせているから早くしないといけないという焦りが加わり、いっそうどもりやすくなります。

レジの仕事は大変だったのですが、その他の業務はわりと楽だったのと、何より店がアパートから近く通勤しやすかったこともあり、ドラッグストアでのアルバイトは長く続けました。いつごろ始めたかはよく覚えていませんが、二年くらいは続けたと思います。


③ 障害児の介助のアルバイト


時系列は曖昧ですが、おそらくドラッグストアでのアルバイトに就く前に、障害児の介助のアルバイトを始めていました。のちに社会福祉サークルにも入るように、僕は以前から福祉に関心を持っていました。実家にいた頃、親が福祉や医療を扱ったドキュメンタリー番組をよく見ていて、僕も一緒に見ていました。その影響かもしれません。

求人情報誌でアルバイトを探していると、「障害を持った子供のお世話をする仕事」という求人を見つけました。物珍しい求人に、すぐに目が留まりました。興味がある福祉系のアルバイト、小さな事業所のような場所でやっていてアットホームな雰囲気だ、事業所名のロゴも可愛い……。そんなところから、人付き合いが苦手な自分にもできそうだと感じ、思いきって応募をしました。

それは、障害を持つ子供の親たちが行っていた放課後活動でした。活動場所のマンションの一室には、特別支援学校に通う小学~高校生までの子供たちが放課後に集まってきます。日や曜日によってやって来る子は違いましたが、一回の活動には多くて十人ほどが参加していました。活動中は、一人ないし二人の子供に一人の大人(スタッフやアルバイト)がついてサポートをしました。

普段の活動内容は主に、室内での体操や手遊び、公園での外遊び、おやつでした。まず室内で過ごし、近くの公園へ遊びに行き、帰ってくるとおやつを食べ、そうしているうちに親が迎えに来る、というルーティンでした。日によっては、音楽療法の先生が来たり、車で体育館へ行って運動をしたりもしました。

活動に参加する子供のほとんどは知的な障害を持っていました。さらに、自閉症があったり、ひどく自傷をしたりと、それぞれに特性がありました。体が大きく、暴れると女性のスタッフでは手が付けられなくなる男の子もいました。「今日はおトイレした?」「お昼は何食べた?」と永遠に質問をしてくる女の子もいました。

障害を持つ人と接するのは初めての経験だったので、最初はどのように子供たちと接すればよいのか分からず、戸惑うばかりでした。ですが、活動に参加するうちに慣れてきて、自然と子供たちと触れ合うことができるようになっていきました。とくに何かをしてあげるということではなく、そばで見守って、一緒に楽しんだり、笑ったりすればよいのだと気づきました

特別支援学校が夏休みに入ると、活動も朝から夕方までありました。午後には近くの福祉施設にある身障者専用プールへ出かけました。子供たちはそれが一番の楽しみのようでした。上手に泳ぐ子、浮輪でぷかぷか浮かんでいる子、手のひらで水面をばしゃばしゃ叩く子、楽しみ方は様々ですが、どの子も心から喜んでいました。僕も、少し恥ずかしかったですが、水着を買って一緒にプールへ入りました。夏休みにはプールの他に、みんなで博物館へ行ったり、特別支援学校が主催する夏祭りに参加して屋台を出したりもしました。

吃音で困った事といえば、親への活動報告がありました。親が迎えに来た際、その日の活動や子供の様子を担当したスタッフが話すことになっていました。しかし、「親」という普段接しない部類の人間を相手にするからか、上がってしまい、頻繫に吃音が出てしまいました。とくに働き始めた頃はまだ他人と会話をすること自体に慣れていなかったこともあり、しどろもどろになってまともに報告を話すことができませんでした。

しかし、子供たちと過ごすのは楽しかったですし、スタッフの皆さんとも肌が合い優しく迎え入れてもらえたので、居心地の良い職場でした。学生時代に就いたアルバイトの中では一番長く続けて、卒業間際まで働いていました。ちなみに、放課後活動の運営母体は今ではNPO法人となり、放課後等デイサービスとして活動を続けています。



④ その他のアルバイト


大学生のときは、以上に紹介したアルバイトの他に、宅配物の仕分け作業をいくつか経験しました。が、いずれも深夜の業務だったり冷凍庫内での作業だったりしたので、体力がもたず、すぐに辞めてしまいました(もともと単発や短期の仕事ばかりでした)。

また、前回の記事にも書いたように、社会福祉サークルの在宅介護ボランティアも、謝礼が出たので僕の中ではアルバイトという位置付けでした。そこそこの額を貰っていて、貴重な収入源となっていました。




以上、今回は学生時代のアルバイトについて書きました。長くなりましたが、最後まで読んでくださりありがとうございました。アルバイトも、学生記者やサークルでの活動と同様、大学時代の貴重な体験となりました。何事にも疎く世間知らずだった僕にとってはいっそう、実社会に関わることを通じて学んだことは多かったはずです。 



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