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僕の吃音歴(美術予備校編)

先日、僕の記事を読んでくださった方から、「自分のことのようでとても共感した」という声をいただきました。

とても嬉しかったです!

こんな自分語りでも、どこかで誰かが読んでくれていると思うと、ワクワクして、モチベーションに繋がります。読んでくださっている方々には本当に感謝です。これからもよろしくお願いいたします。



今回も、前回に続き僕の吃音歴(もとい、自分史?)を書いていきます。


中学生のときの担任の先生から紹介してもらった美術予備校へ行くことになりました。
 
が、一年近く引きこもりのような生活を送っていた人間にとって、それはそう簡単なことではありませんでした。入校の申し込みをしようと予備校へ初めて行った日、入口に並んでいる自転車の列を見た僕は、怖気づいて校舎の中へ入ることができずに帰ってしまいました。
 
あの中に生徒たちがいる、と想像しただけで足が震え、それ以上校舎へ足を踏み入れることができなかったのです。長い間他人と関わることを避けていたせいで、対人恐怖症に近い状態になっていました。
 
勇気を出して予備校まで行っては、怖くなって何もしないまま帰ってくる。というのを数日間に渡って繰り返しました。そして、何度目かの訪問で、ようやく予備校の門をたたくことができました。
 

幸い、入校してみると、そこは僕でも通うことのできる場所でした。

僕が入った「昼間クラス」は主に浪人生を対象にしていて、人数は十人程度と少なく、人目をそれほど気にせずに済みました(現役の高校生を対象にした「夜間クラス」は人数がたくさんいました)。また、浪人生ということもあり、高校を中退した僕とどこか似たような雰囲気を持つ生徒たちが集まっていたので、恐怖心や抵抗感をあまり感じることがありませんでした。

それに、予備校にいる間はずっと一人で絵を描いているので、他の生徒と関わることはほとんどありません。自分から話しかけない限り、(講師を除いては)ほぼ誰とも話さずに一日を過ごすことができました。

もちろん、慣れるまでに時間はかかりましたが、対人恐怖症ぎみの僕でも、なんとか皆に混じって授業を受けることができる場所でした。


僕は日本画コースに入りました。日本画コースを選んだのは、扱う画材が馴染みのあるものだった(日本画は主に鉛筆や水彩絵の具を使います)ことと、なんとなく自分が目指している絵の方向性に近い気がしたからです。デザインや彫刻のコースもありましたが、僕がやりたいのは純粋な絵画でした。
 
平日は毎日予備校に通い、朝9時から夕方4時頃まで絵を描きました。最初は静物をモチーフにした鉛筆デッサンから始めて、次第に、水彩画、石膏デッサン、人物画などいろいろな課題に取り組んでいきました。数日間かけて一つの課題を行い、終わると作品を並べて講師の講評を受ける。それをひたすら繰り返しました。上達のためには、とにかくたくさん描くことが大事だと言われました。
 
授業で習うデッサンは、僕が小さな頃に描いていた絵とは全くの別物でした。そこにあるものを正確に画面のうえに表現しなければならない。好き勝手に描ける自由帳の落書きとは全然違う。本格的に習ってみると、なかなか思う通りに描けなくて苦心しました。絵というものは、僕が思っていたよりはるかに奥が深くて難しいものでした

それでも、絵を描くことは好きでしたし、時にはよいデッサンが描けることもあったので、地道に練習を重ねていきました。よい作品が描けると教室の壁に飾られることがあり、僕が描いたサザエや靴のデッサンが飾られたときはすごく嬉しく思いました。


予備校では、絵を学ぶことはもちろんですが、生徒や講師たちとともに過ごす時間を通じて、人との関わり方も学んでいったように思います。入校時は僕の人格の大部分を占めていた対人恐怖症的な傾向は、徐々にですが改善していきました。周囲への挨拶とか、必要最低限の会話とか、当たり前のことですが、最初はできなかったことができるようになっていきました。

ただ、生徒たちと「友達」と呼べるような親しい関係になることはできませんでした。僕の中には、高校を中退したこと、一年近く引きこもりのような生活を送っていたことに対する負い目がありました。それを他人に知られたくない。知られたら軽蔑され嫌われてしまうんじゃないか。そんな思いがあって、他人と距離を縮めることを恐れていました(この気持ちは大学に入って以降も尾を引くことになります)。

一日の大半を絵を描いて過ごす予備校での日々……。好きなことに思う存分時間を費やすことのできるそれは、とても楽しく充実した毎日でした。高校を中退して以来失っていた社会との繋がりを取り戻したという喜びも、僕にとっては大きなものでした。

美術大学に入学できたら、好きな絵をもっとたくさん描いて、将来は本の挿絵を描くようなイラストレーターにでもなれたら。なんて漠然とした目標を思い浮かべたりしたりしながら、絵の練習に励みました。


――結果を言うと、僕は美術大学に合格することはできませんでした。三年間予備校に通い、三回受験をしましたが、全て落ちてしまいました。

小さな頃は絵に自信があったけれども、いざ本格的に絵を習い始めてみると、思うように上達することができませんでした。周りを見れば、自分より絵が上手い人はいくらでもいることを知りました。密かに信じていた絵の才能なんて、自分には無いことが分かったのです

美術大学はどこも狭き門で、何度も受験をしている人が大勢います。最難関とされる東京藝術大学などでは3浪4浪は珍しくないくらいです。ですが、僕はこれ以上頑張っても無駄だと感じ、絵の道をきっぱりと諦めました。


高校中退に続き、二度目の挫折でした。


今回はこれで終わります。この後、いろいろな回り道をした僕はようやく大学へ入学することができます。次回はそのあたりを書きたいと思います。また読んでいただけると嬉しいです。

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