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政府は人との関わりを8割減らすようにと言っている。

そう聴いて「えっ 8割も」「どうせムリ」「なんとかやってるよ」という反応だ。

だが逆に「2割残している」点に言及している人はいない。8割制限するほうには目は行くが2割残していることには目がいかないのだ。

どうせなら欧米のように「完全封鎖すればいいのに」と思うかもしれない。そうやって違反すれば罰金を取る。守らなければ逮捕するという強硬手段を取ってまでコロナを制圧しようという策もある。

だがふしぎと日本はそこまでせず拘束性のない自粛推奨だけでけっこう抑えられている。3月に自粛、4月に日本が緊急事態宣言を出したときには「遅い! 1か月でアメリカのように爆発的に感染者・死者が増え、地獄を観る」と言われた。

だがあれから1か月経ちどうだろう? たしかに感染者・死者は増えたものの地獄にはなってはいない。スーパーやコンビニにはふつうに物資は供給され買い占めパニック騒動にはなっていない。だからあれほど危機感を煽るような報道がなされたもののそうはならなかったのだ。

なぜか?

これはきれい好き、ハグしない、距離感を保つ、命令を忠実に守る国民性、欧米に比べやせた人が多く比較的健康体……といった要因があるだろうがひとつほかの人が言っていないことを言うと……

“2割”残した

というところにミソがあるんじゃないかな、と思う。

人は100%禁止されると反発を覚える。自由を奪われた気がして逆に規則を破りたくなる。昔アメリカで禁酒法なるものが施行されたが逆に犯罪は増えたと聴く。無用なストレスをつくってしまったからだ。

それと一緒で8割は制限を”お願い”しますが強制ではないですよ。と言われればどうだろう。まぁ政府のお願いではあるが、たいせつな人を守るためという公理(公の理念)だからしかたあるまい。まぁしょうがないなと守ろうという気になるのではないだろうか。くり返しぜひともお願いと言われれば。

そしてまた2割は残してくれているとするとそこに自由さ・解放感を残してくれていることになる。逃げ場を用意してくれていて、どうしてもやむを得ないときはいいですよ。でも必要最小限でお願いしますね。と言われれば、家族や仕事上のどうしても合わなければいけない人やらなければいけない仕事をやるいい口実(理由)になるからだ。

日本人の場合、欧米人のようにロジカルに言われるよりあ・うんの呼吸で、なんとなくわかってくれるよね。みんな守ろうね。という学校の先生が言うようなノリで言われると、意外と素直に聴いて守ろうとするんじゃないかな。一部にルールを守らない人がいたとしてもそれはそれでみんなから白い目で観られるからだんだんと抑制されていく。そのあたりに日本のいい意味での緩さが逆に功を奏している部分もあるんじゃないか。

たかが2割、されど2割――2割が日本人を救い、助けてくれているのかもしれない。ちょっと大げさかもしれないけれど、ぼくはそんな気がした。

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