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ひろ健作です。

きょうぼくは敬虔な気持ちでいます。
というのも、じつはなにげない投稿で本のランキングが電子・紙版ともに上がったからです。

それがこれ
断り方の極意』~NOという技術とことわりの作法。

本書を執筆するには、7年の歳月が必要でした。3年かけて書いた原稿を気に入らず、いったんすべて白紙にして再スタート。一時はもうムリかなとも思える中をようやく完成へと漕ぎつけた作品でした。

構想から実践を含めるとじつに40年――。気の遠くなる年月と私財のすべてを投入し、世の中にあるあらゆる教えを実践・検証、誰にでも使いやすいカタチにまで昇華させました。


 ですが……

いざ、世に出そうとすると、足が前に出なくなりました。人には教え、背中をそっと押し、望む場所へといけるようにしました。ある人は市の常設展示「芸術大賞」、ある人はお父さんとの確執から10年もの間、耳が聴こえなくなっていたのが確執を解消――10年振りにザーっという音が聴こえ始めた。

ある人はいきなり男性から声をかけられお付き合いがはじまる。ある人は目がうつろになり、息も絶え絶えだったのが復活、絶好調になる。ある人はまったくと言って異性にも相手にされない情けない人生だったのが、5人中4人からご指名を受けるようになる――など奇跡とも呼べる人生を呼び起こすことができました。

 が、しかし……

いざ自分のこととなると、トーンが急に下がります。「きみにはスゴイ才能がある」と言われつつ「神経はノミの心臓よりも小さい」とも言われた。

30年前に出逢ったある師は私の未来を読み、「きみはねぇ、心はきれいで純粋。がしかしだな、一点だけ課題がある。神経がソーメンより細い。だからねぇイチイチ気にするだろう。自分をますは信じなさい、そうすればきみは成功できるし、世の中の人を導く人になれるよ、」と言ってくれたのでした。

10年後――。今度は超お金持ちの絵描き&ヒーラーの婦人とファミレスで出逢います。朝から妻のマダムれいこを家に置いてひとりで朝食を取ったときのとこです。

「んだからねぇ、わかる。そういうことなのよっ!」

周りにも聴こえやしないかとことさら大きな声で連れの男性を諭しています。私のほうはといえば、まだ一冊の本も出しておらず、メルマガ読者にきょうのメッセージを書いている最中。いつもそこで逢う不動産会社の社長さんと談笑する中、やたらと目立つ声の方向に目をやると、ミセスKと称する女性が同伴の男性に向かって怒っていました。

「んもう、やんなっちゃうわね。私のこと誰だと思ってるの!? ミセスKよ」

ふたりは朝から出雲大社に朝詣でして帰って来たばかりといいます。私は振り返り、PC画面を見せました。同伴の男性がミセスKのことをいまひとつ認識していなかったので、「この方ですよね」と言ってミセスKの紹介動画を見せました。

「そうそう! あなたわかるの!? ワタシの言っていること!!!」

「えぇ、もちろんですよ。感覚・感性の話、ですよね」

「そうよ。そう。こうでなくっちゃいけないのよっ」
同僚の社長男性を叱り飛ばし、私のほうをまじまじと眺めました。

「あなた、わかるわね」

父を愛せなかった自分への手紙

じつは、いつもヒステリーのようにキレまくり、ぜったいに認めてくれずわかってもくれなかった父への想いがありました。そのときをさかのぼること10年以上前、初めて参加したセミナーで私は父を許すワークをしました。

「お父さんありがとう」
「ヒロはきつかったんだね」

お父さん役をしてくれた男性、お母さん役をしてくれた女性に対し、感謝を覚えつつ、どこかこれは別な場所でのストーリー(パラレル・ワールド)だと思いました。映画『ララランド(LaLaLand)』で描かれている世界と同じように、願望で描いたもうひとつのストーリーであり、実際に生きている世界とはまた違う現実なのです。

しかし実際の現実は、私を、さらに奈落の底へと突き落とします。

父に、わかってもらいたい一心で、そのセミナーに誘いました。自分がそのセミナーに参加して父を許せたこと。じつは父のことが大好きだったことなど、それまで溜め込んでいた想いを吐露しました。

よくある美談ならワークショップ参加後の親子関係、夫婦関係は一時のとまどいはあるにせよ、劇的に改善していきます。実際セミナーの講師やアシスタントたちは、説明会に来た理路整然と語る父を観て、

「りっぱなお父さんじゃない」と私の認識とは180度違って、最高の評価を下します。表向き最高の善人へと変身する父は、休憩時間、控室で、もうひとつの顔を見せます。「大した人たちは来とらんようだね」と、私の同僚や師と仰ぐ人たちをことごとく陰でけなしました。

「やっぱりムリだった。みんなは父の裏の顔をわかっちゃいない」
絶望にも似た感情が芽生えました。父にはもう何を言ってもムダだと思えたのです。

またそんな私を見て母は、
「ヒロが最近おかしくなってきた」

一方父は、
「なんで男が泣くんね。情けないと思わんのかね」
とまで言いました。私の想いはことごとく打ち砕かれていったのです。

「お父さんは悪くないよ」のひと言が父を変えた

それから数年が経ち、自分でもセミナーや個人セッションをはじめたときのことです。クライアントから「父(母)のこと憎いし、嫌いなんですけど、好きにならないといけないんですかね」という相談を受けることがありました。

否定され続け、わかってもらえなかった自分だからこそ、人の気持ちに寄り添うことができると気づきました。

そこで私自身の経験から、ものごとには段階があり、「憎くて嫌いなときは嫌いでいい。ムリに好きになることはない」と教えました。それはカウンセリングやセミナーで表面的にわかったつもりになって、イメージワーク上では父を許せても、実際の父はイメージワーク上の父とは違って、はるかにクセが強く、個性的であり、むしろ中途半端な気づきはあまり意味がないと悟ったからです。

そんな父がある日のこと、烈火のごとく怒っていました。
母と都心で一緒に行動していて、母がお弁当を買うといって離れた際、父を見失い、勝手に家に帰ってきたからです。

「なんで自分だけ変えるんね! ぼくはお母さんのことが心配でずっと待っていたんだよ」
「だってあなたのことだから、もう別の場所に移動したと思ったのよ」

「移動するわけないじゃないか!」
「でも……・・・・」

父はものすごい形相で怒っています。先に家に帰って来て家事をしていた母に対して、2時間遅れで帰って来てずっと怒り続けています。70を過ぎ、高齢者にはなっていますが、怒りのヒステリーのマグマは昔から変わってはいません。

私は父が、幼い頃から母一人、子一人で育ち、お金持ちの家に育ちながらも、早くに父を亡くし、先行きのことをずっと不安に想い、何も考えずにいる母に対していつも怒っていた過去があったことを知っていました。

だから今回のときも父は悪くなく、母のほうが悪い。とくに言い訳ばかりして謝らないのがいけないとすぐに察知しました。

自分が親になってわかってあげたらいいんだとそのとき悟ったのです。
「お父さんはわるくないよ。待っていなかったお母さんのほうがわるい」

ポンポンと背中をたたち、お父さん大変やったね、と母の代わりに謝り、一方で母を諭しました。するとどうでしょう。父のヒステリー顔がみるみるやさしい童心に帰った子どものようになったではありませんか!

かつて父と何時間、何十時間、何か月、何年間も確執があり、許していなかった父を、自分のほうからわかってあげたことで初めて父と出逢えた感じがしたのです。

自叙伝的メソッド『断り方の極意』、いやなことはNOと断り、こうしてほしいと要望する

じつは私たちのクライアントには、ベスト&ロングセラーの本を出した方々がいます。また妻のマダムれいこは、私のほうが活動は5年以上早かったにも関わらず、「恋愛」「結婚」「離婚回避」の三部作まで出し(一部は共著)、セブンネット電子書籍総合1位、Amazon「恋愛」「結婚」「離婚」部門1位のタイトルまで獲得しています。


恋愛・結婚・離婚回避の三部作

しかし私自身はというと、表舞台に出るのがおっくうでしかたなかった。日の目を浴びたいという欲求と、いや日の目は浴びたくないという想いがせめぎ合い、出たり入ったりしていました。

noter、クリエイターへの賛歌

しかし私は気づいたのです。『断り方の極意』をなんのプロモーションもせず、知人に紹介も頼まず、なにもしないでいると、だんだんとランキングは下がり、「どんなにすごくいい内容を書いても、やっぱりムリなのかな」と正直思うようになっていました。

一時的にちょこっとランキングが上がっても、人ともからまないし、表舞台へも露出していないから、結局は日の目を浴びずに影へと落ちていくのだと思えたのです。

しかしそれは違っていました。

ランキングを観て、自分の評価を定めてしまっていたのです。自分の本が少しでも人目に着くような努力をせず、棚からボタ餅みたいに想い、そのままにしていた。だから注目されないし、人目にも付かなかったのです。

ところが……

自分が自分を愛したとき、流れは変わる

それが流れはひょんなことから変わっていきました。創作大賞に応募し、記事を書いていくうちに、少しずつ観ていただけるようになっていきました。
(「そうか❗️どんなに頑張ってもスキ! が付かず、人が訪ねに来なかった訳がわかった」)。

けっして数ではないのです。もしかしたらいいと想っても、なんにもことばを発していないかもしれないのです。スキ! もコメントも いいね! もしない人がじつは静かに支持してくれているかもしれないのです。

ミクシィ時代の反応

じつは昔、日本発のSNS「ミクシィ」のコミュニティーでこの傾向は顕著でした。私のカキコミにリアルに反応してくれる人よりも、反応してくれない人のほうが、私のところに相談にお見えになっていたからです。

反応があるから◎、ないから× ではない

ここでわかるのは、反応があるから◎、ないから×ではない、ということ。多くの人は得てして反応や登録者の数を観ます。しかし何もリアクションしない一人がもしかすると、切実な悩みや問題を抱えており、おいそれとリアクションできずにいるかもしれないのです。

自分を愛す、ということ

私は決めました。誰がなんといおうと、自分を愛すと。自分のことを大事に思い、大切に扱うと。私の本は私の分身であり、結晶。であればもっとも大事にする作品のひとつだからです。

これから、私は30年前、霊媒師兼占い師に約束したこと、多くの人を成功へと導くお手伝いをしていきます。ミセスKやクライアントの方たちがいうように、僕にしかわからない感性が僕にはあるのだから。

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