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諦めかけていた 7か月目にして100位内
・どんなに訴えてもわかってもらえないことがあります。
・いつのまにか孤立し、のけ者扱いにされることがあります。
・がんばってもがんばっても報われず、嘲笑されることがあります。
そんなあなたに伝えたいです。
見ている人はいるし、努力はどこかで必ず報われる、と。
発売7か月目にして初の100位入り(消費者部門)。本来コミュニケーションや話し方、引き寄せ、のジャンルがよかったけど。諦めなくてよかった。立場が厳しい、思うように成果が出ない、上から丸め込まれるといった時、最強の味方になってくれます。
※現在半額キャンペーン中(電子書籍、7/17迄)
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何のしかけもせず、コミュニティーも持たず、ファン層もいない。そんななかで私は、23/11/23 ひっそりと著書を出版しました。
妻の本に比べると、インパクトは薄く、また本来得意とするコミュニケーションや話し方のジャンルではない。願望達成や引き寄せでもない、まったくもって畑違いじゃないかと思える「消費者問題」「社会学」「社会学概論」というカテゴリーでの出版です。
パワハラに遭い、人見知りでコミュニケーションに苦しみ、ありとあらゆる自己啓発本、願望達成法、セミナーに参加し長いトンネルをくぐり抜けてきた私にとって、まったくの畑違いに出されてしまうのはとても痛かった。
がしかし出せただけでもいいじゃないかと気を取り直し、自分の媒体でコツコツ地道にPRはしてきました。しかしだんだんとランクは落ちていきます。最初でこそ少し上がりはしたものの、その後はしりすぼみ。正直ダメなのかな、と思った矢先です。
いつも私の人生はこうでした。逆境に遭い、もうダメだと諦めかけたときに、不死鳥のように上がっていくのです。それは私がまったく予想もしないところで。
なんでだろう……と思います。私よりひと世代若い人たちはコミュニティーをつくり、みんなでワイワイ励まし合っていこうとやっています。私自身も人の輪に入っていくことは別意味では嫌いなことじゃない。
だけどどこかわかってはもらえない感がくるのです。私の言わんとしていることがなかなか伝わらない。伝わるのはものごとに白黒つけて、何がいい、何がわるいとわかりやすく刺激的に説明してくれるものだけです。
ですが私は言いたい。そういう白黒つけられないことが実はあるのだと。悪者とされる人が実はそうではなかったという例をつぶさに見ていてわかるからです。
悪とされる部分がそうとは言い切れない理由
そこできょうは、断り方の極意で書かなかった部分を紹介します。
森友学園問題、日大アメフト問題、貴乃花の再婚に観る共通点
一件、これらの問題は関連性がないように思えます。しかしある視点から見て行くと、密接に関連していることがわかってきます。
森友学園問題では、当初、安倍首相の奥さんが森友学園に配慮して土地の購入に便宜を図ったとされ大スクープとなりました。安倍さんは私や妻が関わっていたとしたらいつ辞めてもいいとまで踏み込んだ発言をしてしまいました。
しかしこのことが結果的に近畿財務局と財務省との関係を歪めてしまいます。森友学園の籠池理事長から詰め寄られていた近畿財務局はごみ問題で損害賠償をされる恐れがあり、それを回避する意味でも値引きして売ったほうが良いという判断をします。
しかも籠池理事長は安倍昭恵さんを学校長に据え、何かと話題に出し、昭恵夫人がいいと言っている、安倍首相も承認済だといわんばかりの言い振りで話を有利に持って行こうとします。
忖度するよう指示してはいないのに結果的に安倍内閣を守るための行動が佐川理財局長の改ざん指示へとつながっていくのです。
これは当時、昭恵さんの自由奔放な性格、行動が関与しています。本来であればあまり近づかないほうがいい人たちにまでどんどん入っていってわかろうとする。それがある意味問題を大きくしてしまっているんです。
朝日新聞は8億も引いた不当な売買価格を安倍内閣への忖度としてスクープしました。もちろんそれは正義のペンとしての書かれたものです。
ですがこのことによって国会で追及され、組織を守らないといけないという心理が働きます。それによって近畿財務局はマスコミの格好のターゲットになります。
当時国鉄からの入社組で国民がお客さんという使命で働いていた赤木俊夫さはとんでもないことをしてしまったと自分を責めます。部下に責任を背負わせてはいけないと自分が全部改ざんをすることになりました。
日に日に表情が暗くなっていく赤木俊夫さん。奥さんの雅子さんは純朴でやさしかった俊夫さんが変わり果てていくのを見ていられませんでした。国に殺されたという意味は誰も助けてはくれなかった。見捨てられたという意味です。
ですが一方で私は想うのです。そこまで自分を追い込んでしまわなくてもよかったのに、と。自分を責め続け、うつ病を併発し、休職へと追い込まれた。高校卒で中途入社の赤木さんは罪をぜんぶ背負ってしまったのです。
もしあのときもっと違うやり方があったらどうだっただろうか。もし朝日新聞があのような形でスクープとしてセンセーショナルに取り上げなかったらどうだったろうか。
いまでは国が全面的に悪いように一般の人は思うけれど、もしかしたらそうとも言い切れない。昭恵さんが自由奔放に行動していなければあのような誤解を生まなくてもよかったかもしれないのです。その意味ではよかれと思って行動することが悪しかれとなることがあるのです。
日大アメフト反則タックル問題
いっぽう日大アメフト問題ではA選手の反則タックルが最初問題となりました。関西学院大のアメフト選手を試合していないときに後ろからタックルをしかけた。それによってケガをした。選手はSNSを中心にものすごい批判の嵐、炎上しました。
A選手はいたたまれなくなり、謝りに行きたいと直訴します。しかし大学側は止めます。というのも組織の問題であり個人行動は慎んでもらったほうがよいと判断したからです。
内田監督も井上コーチもA選手をかばいます。反則指示したのではないかという疑問に対し、それはないと否定しつつも選手の行動の全責任は自分にあると言います。
しかしはたから観ると、逃げ口上のように思えました。A選手は弁護士付き添うのうえ、なぜあのような行動をしたのか、ということを真摯に説明していきます。その際に「反則指示されたのか」の記者からの質問に、「はい、指示されたと思います」と答えます。
私はこの「思います」ということばを聴いたときに「やはり」と思いました。選手は監督以下の激しい練習(時として厳しい発言)に圧を感じ、勝手に推測するようになります。内田監督の「圧」はコーチに及び、「次回生ぬるい動きなら選手として外すからな」という指導を受けます。
しかし当時、26連敗中だった日大を復活させたのは内田監督です。そのときのインタビューでは「選手が、選手がよくやってくれた」と涙ぐむシーンがあります。それを観て私は、あぁこの人は不器用だけど根はやさしいんだなと思います。
一方井上コーチは内田監督の指示のもと、A選手をきびしく指導します。かつてはよき先輩として関わっていたのが、上の指示に従わなければいけないし、また勝つためには叱咤激励しなければならないという想いから、あえて厳しくいいます。「今度やらなきゃ意味ないからな」
これはとにかく全面に矢面に立って突っ込んでいけ、という意味で全力を尽くせ、敵に向けてのやさしさが時としてあだとなるという意味で言ったものです。ですがA選手にはまったく違う意味にとらえられてしまいます。
「反則してケガをさせ、出場停止になるくらいまでやらないといけない」
と極端な曲解をします。結局純朴で純粋なA選手はどこか浮く(空気を読まない)ところがあった。だから反則にまで発展していってしまったのです。
その後の警察の延べ200人にわたる調べでもビデオ解析などして反則指示したと認められる兆候はなかったと結論づけられています。それはそうです。反則そのものをしろとは言ってはいないからです。
反則はエキサイトした結果、なってしまうものであって、それ自体を目的とするはずがない(動機として意味がない)からです。
そこさえわかっていれば、ものごとは単純明快に解けるはずでした。しかしながらSNSで炎上してしまっているA選手はいたたまれなくなり、相手選手のもとにお詫びに行っています。
この行為自体は素直でとてもわかるものです。一方で選手の行動を見ていなかった内田監督や日大側は困ります。一選手の行動によって、ますます日大が悪者になっていくからです。
この後の展開は略しますが、森友学園問題にしても、日大アメフト問題にしても、誰かを悪者にして話を終えてしまっても、問題の火種は別のところにあり、くすぶった問題は後になって大きな問題へと発展していきます。
貴乃花の初恋の相手と再婚
貴乃花にしてもそうです。大好きなお父さんのことを「親方」と呼ばなければいけなくなったときから徐々に相撲道に精進していきました。ひょうひょうと生きる兄に比べ、ひたすら稽古にまい進する貴乃花は、お付き合いした宮沢りえさんとの婚約も、相撲道を取るため、自分の愛が冷めたとウソを言って、お付き合いを終わらせました。
実直でまっすぐに生きようとする貴乃花は兄や父、母が遠い存在のように思えます。自分のことをわかってもらえない。相撲道に精進し過ぎるあまり、ほかを寄せ付けようとしないオーラがあるのです。
そして当時、鍼灸師にいろいろな相談をし、頼りにしていたところ、父から「洗脳されている」と言われ、マスコミに取り上げられ、ますます孤立していきます。
一方姉さん女房の河野景子さんとの結婚で一見幸せになったように思えます。しかし貴乃花は貴ノ岩への日馬富士暴力問題、弟子の暴力問題、相撲協会との対立などに巻き込まれていきます。これは彼の正義感の現れであり、裏を返せば弟子に対しても圧を感じさせていたことにもなるんです。(貴ノ岩と日馬富士は後に和解)
当時、なぜ貴乃花が本来の貴乃花ではないとわかったか。それはNHKの試合解説でのシーンです。記者が「○○ですよね貴乃花親方」と投げかけたときに「そうですね、〇〇関はここが勝負所でしょうね」などといった後の誰も見ていない部分です。
目がうつろになり、気が遠くなるような表情を見せるんです。そのときに私は、あぁこれは自分ではない自分をやっているからバランスを崩してしまっているんだなと悟ったのです。
その後河野景子さんは相撲協会と対立する貴乃花を応援してやってくださいと言います。
しかしその一方で、貴乃花は自分といるより講演会の仕事をしてイキイキとして帰ってくるのを見て、もっと仕事していいよといいます。
その後、貴乃花はマラソンに出て心臓が苦しくなり救急車で運ばれます。そのときにすぐにかけつけなかった景子さんに「来なくてもいいよ」と言いつつ、愛が冷めていると思いはじめるのです。
結局彼は、各界を去り、景子さんとも離婚し、絵本を書きはじめます。ふしぎとそれは家族が仲良く暮らす絵本でした。兄や母とも会いたいと言い始める貴乃花に瀬戸内寂聴はそれでいいと諭します。
一方の兄の花田虎上は「いまごろ言われてもな」と当惑します。かつて宿敵のように言われていたからです。
本来の貴乃花に戻っていく彼は、初恋の人への想いを語ります。それを聴いた彼女は夫との死別後、貴乃花と再会。最愛の夫婦として再出発します。
しかし私は想うのです。30年前、両親を親方おかみさんと言い、相撲道をまい進して行ったときに、もし道しるべを提供してくれる人がいたらどうだったろうと。いまの純朴な笑顔、少年に戻ったような顔でしあわせにようやくたどり着く人生もそれは意味あることだけれど、そこまで遠回りをしなくてもよかったのじゃないかと思うのです。
このように3つの事象をざっと書きなぐるように書いてみましたが、私の言わんとすることは少し伝わったでしょうか。なにぶん整理せずつらつらと書いたので読みにくかったかもしれません。
私が言いたいのは、だれも悪気があってやっているわけではないこと。彼らには彼らなりの正義があってやっている。けれどもそれがちょっとしたボタンのかけ違い(主にコミュニケーション上のすれ違い)で大きな問題に発展していく――ということです。
誰かと対立し、動かせなくなったとき、敵に囲まれ、窮地に陥ったとき、上ににらまれ、評価を気にしているとき、孤立したとき、自分の居場所を見失った時、『断りの極意』はあなたのつよい味方となってくれます。
少しでも興味をもってくれたなら、読んでみてください。私の言わんとすることが少しでも伝わればと思います。
当時、田中理事長、内田監督、各コーチと上からの「圧」が強かったせいで、純朴な感受性の強い選手は真に受けてしまったのでしょう。とくに井上コーチは厳しく接したためにA選手は暴走してしまった。しかし主語のない憶測で取り違えてしまった。このときのモヤモヤとした問題を残したことが後になってより大きな問題へと発展したと私は観ています。