よろこび(MISSION:JOY)
今日は武蔵野大学で映画を。
タイトルは、
「MISSION:JOY」
ダライ・ラマ法王とデズモンド・ツツ大主教の
対話を90分。タイトル通りの“喜び”に溢れた内容でございました。
以下について、記載してみます。
・なぜ、仏教とキリスト教が一緒に?
・許すって何でしょう??
・なぜ大学で???
・最後に、喜びって????
・なぜ仏教とキリスト教が一緒に?
・許すって何でしょう??
二人は友人だと言っていました。
きっかけは?どのように?
という疑問はありましたが、その辺の説明は無し。まあ、そんな細かいことは気にしない。そのくらい、二人の笑顔と、深い愛に溢れていました。
ツツ大主教。
すみませんよく存じ上げていませんでした。
とっても凄い人。
凄いって、何だか全然足らない表現ですが、それしか思いつきませんでした。語彙少なくてごめんなさい。
アパルトヘイトを解放し、許した。もちろん、ツツ大司教だけでなく、アパルトヘイトをで子供を亡くした親御さんも、相手を許したんです。
そんな事できますか?
ダライラマ法王は言います。
怒りは良くない。
ツツ大主教は言います。
怒りを持つことは、人間として普通のこと。
ダライラマ法王は言いました。
怒りは忘れてはならない。
しかし、怒りに負けてはならない。
あることは認めつつも、コントロールする。
どちらかが、ではなく、どちらもなんですね。
二人がお互いを補足し合って、対話している。と、私は受け止めました。
そんな関係性を築けるって、“素敵”ではないですか。ここでも“素敵”って表現では、軽く感じてしまうかもしれません。素直な表現と受け取っていただけたらと思います。
また、この関係性が凄い。
ジョークを言い合うのですが、結構いいところ付いてくる。表面的ではなく、深いところでやり合っている。“尊敬”、“信頼“どっち?が合っているかどうかなんて、どうでもいいかな(定義としてはあるのでしょうけど)。そのくらい、二人の表情、声、姿勢が良いなあと感じたのです。
お互いに腹を割って話す。
ここも、ピーんときました。
映画の後に、対話の機会があったのです。その際に、学部の1年生と話をしたのですが、胸のうちを互いに明かすことができました。
彼は素直に話をしてくれました。
気持ちに空白があるんだ。
あれ?それって、私もそうだ。
気持ちに蓋をしているのかも?とも。
でも無理にとは感じていないと。
私は違う。
無理に蓋をしていると感じている。
大学1年生でそんなことに気が付ける?
私も以前からなんとなく分かっていたけど、“まあまあ”と棚に上げておいた。最近まで。
気づくのが遅いとは思いません。
準備が出来たのだと。
この映画、イベントも今の自分にとって必要なものだったと思います。
・大学???
武蔵野大学にwell-being学部が出来まして、その公開イベントだったのです。
詳細は以下をご覧ください。
イベントは今後もあるようですから。
・最後に、喜びって????
ここは一言。
”自分の中にある“
外に求めること、多いと思います。
今手元にあることから、探してください。きっとあるはずです。私も青い鳥を探すのはやめて、自身に向き合ってみます。
そこに必要なのは、
瞑想と静寂。
毎日時間を作って考えてみたいと思います。
最後に①
書籍も出ているようなので、こちらもどうぞ。
私も先程ポチりました。
どんな話題が学べるのか楽しみです。
最後に②
武蔵境でラーメンを食べつつ、
隣にあった古本屋へ。
”幸福論“を手に取りました。
私の生まれる前の本ですが、
また違う視点で書かれたような感じです。
読むのが楽しみです。
ではまた。